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カテゴリ:雑談系よもやま
昨日にひきつづき、「如月の望月」ネタです。
願はくは 花の下にて 春死なむ その如月の もちづきのころ 「如月の望月」、つまり旧暦二月の十五日頃にはたして「花の下」で死ねるのか? つまり、旧暦二月十五日に花=桜が咲くということがありうるのか? 大体、なんでまた「弥生の望月」ではなく「如月の望月」なのか? これは当番の長い間の疑問でした。 疑問の一部は、昨日解決しました。 いつも、というわけではありませんが確かに、「旧暦二月十五日」に 桜の花が満開を迎えるというのは「アリ」なのです。今年がそうですね。 そういうことを昨日書いたら、それを読んでくださった「ばっちゃん。」さんから コメントをいただきました。「その如月の」の「その」はどこにかかっているのか、 それが気になる、と。そういえば、「その」ってなんだろう。 言われて初めて気付いた当番、猛スピードで考えはじめました。 願はくは 花の下にて 春死なむ 「その」如月の… 春死なむ その如月。「その」は「春」にかかるんじゃないかな。 花の咲いてる春に死にたい。「その中でも」如月の十五日、満月に死にたい。 うん。これなら意味がとおる。 さらに当番、考える。日本の旧暦では、一月~三月までが「春」、 四月~六月までが「夏」、七月~九月までが「秋」、十月~十二月までが「冬」と ひとつの季節に三ヶ月ずつが割り当てられている。さらに、一ヶ月の日付は 月の満ち欠けとほぼ一致しているから、一日は新月の後で初めて月の姿が見える日 (つきたつ日=つひたち)、月の末尾は月が全く見えない日=つごもり(月籠り)。 月の真ん中、十五日が満月=十五夜、となる。 グレゴリオ暦だと2月は28日(閏年なら29日)までしかないけれど、 旧暦だと、ふつう二月でも三十日まできっちりある(…だったはず)。 だから、「如月の望月」と言ったら、旧暦二月のど真ん中、十五日のこと。 旧暦の春は一月~三月までだから、二月は三ヶ月の真ん中の月であるわけで… そのニ月の十五日、満月の日といったら、それは春の三ヶ月のちょうど真ん中でもある。 おおお!? ということは、「その如月の望月のころ」というのは春の中心日ってことか。 三ヶ月、約90日の真ん中。45日目の折り返し地点。ちょうどこの日に 桜が花盛りになったら、それはとても素晴らしいだろうな。満月だし。 …と。そこまで考えたところで当番、「まてよ」と思う。 如月の望月。旧暦二月十五日。「春の中心の日」という考えは ロマンチックではあるけれど、頭の中で小人がタイコを叩いて警告してる。 当番、なにかを見過ごしてるぞ。旧暦二月十五日。何かがあった筈だわさ。 思い出せ当番、思い出せ。 旧暦二月十五日には何かある。特別ななにか。 西行がその日に死にたいと言う特別な理由があった筈。 そして当番、たぶん無意識にその理由を知ってる筈。 思い出せー、当番ー。 旧暦二月十五日で何度か検索をかけてみて、判明しました。 「涅槃会(ねはんえ)」!!そーだ、言われてみればもっともだ。 涅槃会、つまりお釈迦様の入滅(死)を記念した仏教の祭日。 これがちょうど旧暦二月十五日。思えば西行「法師」と呼ばれる人が わざわざ「如月の望月の頃」と指定するのだから、当然そこには 宗教的な意味がある筈だったんだあ。なーるほど。 Wikipediaより、「涅槃会」についての解説 そして当番、幼稚園の頃を思い出す。 当番が通ったのはお寺に付属の幼稚園で、毎週月曜日にはお堂に正座して、 読めもしないお経の本を見つめてお坊さんの唱えるお経を聴いた。 春には「花まつり」で小さな御堂を花で飾り、誕生仏に皆で甘茶をかけたし、 (その日のお弁当の時間には、皆にも甘茶が出るのだ)、夏の盆踊り会には ちゃんと「盂蘭盆会の始まり」を描いた絵本が配られた。だから当番は、 5歳にして「餓鬼道に落ちる…」なんて言葉を覚えた(怖かった;)。 12月には、クリスマス会がない代わりに「成道会(じょうどうえ)」があって、 それが園児の発表会というか、いわゆる「お楽しみ会」の日になっていた。 「成道会」はお釈迦様が菩提樹の木の下で悟りを開いたのを記念したイベントで、 「なんとかかんとか(うろおぼえ) おさとりひらいたおしゃかさま~♪ きょ~おはめでたいじょうどうえ~♪ みんなでおまつりいたしましょ~♪」 という「成道会の歌」なんていうものも歌った記憶がある。 そういう節目の日には、お釈迦様の一生を題材にした色刷りの綺麗な絵を貰った。 (カトリック系の幼稚園で、マリア様とかの「御絵」をもらうようなノリだ;)。 花祭りの時にはピンクに輝く蓮の上に立った幼いシッダールタ王子の周りに きれいなサリーを着た女性たちが沢山座り込んでいる絵だったし(綺麗だった)、 盂蘭盆の時は何を貰ったか忘れたけれど、成道会の時には菩提樹の下に座って 悟りを開いた時のお釈迦様の絵だった。お釈迦様が淡い淡い黄色の光で 包まれたように描かれていて、小さい当番はこの絵を一番気に入った。 そういう一年の記念行事の中で、一番最後に来るのが「涅槃会」だったのだ。 もちろんその日には「涅槃に入られたお釈迦様の絵」をもらった。 例の、肘をついて頭を支えて右の脇を下にして寝ているお釈迦様の絵。 年間行事の中で、この「涅槃会」だけは妙に地味で、その日のための 特別な歌なんかもなかったし、全体的にひっそりとした日だった。 でも、その頃はちょうど幼稚園での一年が終わりに近づいた時期で 涅槃会の「もうおしまい」という雰囲気と、幼稚園の年度末の雰囲気とは 妙によく似合っていた。少なくとも小さい当番は、春休みを控えて 涅槃会の絵を貰うと、なんとなくしんみりしたもんだった(笑)。 そうかそうか、涅槃会か。思い出した。 西行くんはお坊さんだから「お釈迦様の死んだ日にボクも死にたいなー」と 歌ったわけか。納得納得。ということは、もしかして「花の下にて」の花も 桜とは限らないのかも。たぶん、西行くんの念頭にはお釈迦様が死んだ時に 一瞬にして散ったという「沙羅双樹」があったと思うから。 でも本当に、旧暦二月十五日に桜が満開になったなら、 その下で死ねたら沙羅双樹の花が散りかかるのと同じくらい綺麗だと思うな。 (なお初夏に白い花が咲いて、「ナツツバキ」とも呼ばれる「沙羅の木」は、 「沙羅双樹」とはまったく違う木みたいです。当番は「沙羅の木」好きですけどね) うむ…。「涅槃会」のことを頭に入れると「その如月の望月の頃」イコール 「春のど真ん中の日に死にたかった説@星見当番」は、やっぱり間違いだろうなあ。 やっぱり「お釈迦様と一緒の日に、お釈迦様と同じように花の下で死ねたら サイコーだよね説」が正しいんだろうなあ。 もしかして、西行の歌った「如月の望月」がお釈迦様の入滅の日を指しているってのは 西行の歌についてちゃんと勉強した方や仏教関係に詳しい方には常識かもしれませんが。 当番にとっては、今日はじめて思い至ったことなので、ここにメモしておきまする。 最後に、ばっちゃん。さん、考えるヒントをどうもありがとうございます! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2007.03.31 17:55:05
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