ケニアに到着
ケニアの首都 ナイロビ ジョモ・ケニヤッタ国際空港に到着した。ちなみに ジョモさんは 大統領の名前らしい。ケニアシリングにも 肖像がのってました。 時刻は朝六時ごろだが 真っ暗。機内からすぐにバスで移動することもなく空港内に入れたので 印象はすこぶるいい。あの飛行機から タラップでおりてバスにたったままのり あっちにいったり まがったりで移動するのが個人的には きらい。いくら建物の設備が整っていても 苦手。 ドバイは 到着便だけは バスで移動らしいけどボーとしている状態で階段おりたり バスにつかまったりシルバー世代になったら 遠慮したい。今でも 遠慮したい私は 口うるさい客かな。時差ぼけで ボーとしているとき階段おりたり トランスファーは 何番出口とかアナウンスきいて指示されるのが いやなのよね。足が不自由になったりしたら 出かけるのが面倒になるのが わかる気がする。年齢の高い人が 船旅がいいと選択するのも 納得できる。階段が 意外と多いことに気がつく。 空港内は とても進歩的で 入国のところで 審査官に「ルック」と示されたさきには ゲゲゲの鬼太郎のお父さん(目玉オヤジ)みたいな装置があって 目の大きさチェックをパスポートと照合しているらしい。 その進歩的な設備にびっくり。女性ひとりで作業していのカウンターで 私たちが家族だとわかっていても「なんの目的?」「滞在期間は 何日?」「帰国予定は いつ?」とバラバラに質問する。賢そう。でも「サファリ?」なんて息子に笑顔で聞いてきて ウィットにとんでいるかんじ。サファリとは 旅を意味するから仕事の出張でもサファリというらしい。 エジプトのカウンターは 二人体制だったけれど 入国も出国もなかなかすすまなかった。比較しては 悪いのだろうけどエジプトよりもかなり…。混雑ぶりは 日本の関空もすごかったけれど スピーディーな対応では ケニア、日本、エジプトかなぁ。 ビザのない入国者のレーンは かなり混んでいて 日本で取得しておいてよかったと思いました。機転がきく審査官がいて もうすいているクルーオンリーのレーンにいっていいというので スムーズに入国できました。到着便が 重ならなかったらしい。 荷物をもってタグをみせて 外にでようとすると「フロム ジャパン?」と尋ねられ日本人とわかると「おはようございます」と係員がいうので 日本人の旅行者も多いかと驚いた。ここでは 山本山は なかった。 現地の旅行スタッフのケンさんにあう。ケンさんは ブレザーをみていた。そんなにすずしいの?肌の露出部分がない。私たちはエジプトからの半そで状態。体感気温は 20度くらい?送風で すごせる陽気。「ケニアのお金 用意してあるますか?両替しますか?街中で 買い物するのとチップ程度ですが ドルで20ドルくらいかえますか?たぶんムパタのロッジより空港の方がレートいいです」誠実そうなかんじ。空港内の両替所で 両替してケニアシリングにかえてもらうがケンさんが 大きい金額を 細かくかえてほしいと交渉していた。チップの相場の説明を受ける。 そのあとドライバーさんと合流して 市内をとおり朝食のホテルへ向かう。「これが サッカースタジアム」ケニアは 左側通行で きちんと信号や標識もあって少し安心した。エジプトは 右側通行でした。徒歩で歩いている人は 腰までの長さのジャケットを身につけている。都会。高い建物の数は 東京には かなわないけれど。少しずつ明るくなる。日本の冬の日の出みたいなかんじ。8月のお盆のころでも 赤道に近いとこうなんだ。 赤道直下だけれど かなり高地(1500メートルから2000メートル)にあるので 朝と夕方は かなり冷えるらしい。歩いている人に 半そでは いない。朝日がのぼってきた。全体が 日本でいう軽井沢に例えられる。日中の日差しは 強いが みんな長そでをきている。 ホテルのゲートでは 検問のようなゲートがあってそれから駐車場につく。やはり治安は そんなに野放しにいいとはいえないようだ。日本のようにだれでもかれでもホテルに入れるという雰囲気ではない。 ビュッフェタイプのレストランは 航空会社のクルーもいてまだ7時前でも活気がある。 そのあと国内線専用の空港、ウィルソン空港にいく。大きいトランクの荷物は ケンさんの旅行会社で あずかってもらうことに。搭乗手続きを ケンさんにしてもらう。 ここのカウンターの女性が 私には ホイットニュー ヒューストンに見えた。美人。髪型をまじかでチェックした。細かい編みこみ。髪の毛が 日本人と同じ黒だけど髪質は ことなるかとみてしまいました。白髪なし。いいなぁ。うらやましい。 「英語は しゃべれますか?」「リトル」サファリリンクというラミネート加工されたカードを預かる。「これが 搭乗券。彼女がアナウンスするから 指示にしたがって移動してください。」10時の飛行機だと かなり時間がある。ケンさんとは ここでお別れだ。 子ども二人は おなかもいっぱいになったし「寝てもいい?」と一人ずつのベンチをふたつ使い 足をまげて眠ることに。わが子だけど どうしてこんな異国の地で平気で眠れるか 信じられない。はじめてきたところ。飛行機でも寝てるし。夫の遺伝子の影響か。よくこんな硬い椅子に 横になり寝息を立てられるのか 世間をしらないというか緊張しないのが 不思議。搭乗する人が あつまってきた。 9時すぎて 「マサイマラ?」と男性のスタッフにきかれる。Eチケットのカードをみせる。ワゴン車にのり移動。本当に単語しか話せないレベルだから きちんと英語ができれば もっと楽しめたり深くつっこんで はなしができるのにと後悔しきり。 施設内を 車で 数百メートルのって 離発着する場所に行く。手荷物をチェックに出したりこじんまりとした場所だけど きちんとしているというかんじ。台車には 預けた荷物がのっていた。 バスターミナルみたいな平地。でも目の前には セスナ機が並んでいる。会社もことなるしどうやって乗せるのだろう。行先もちがう? さきほどのホイットニーみたいな女性が 整備用のベストをきて「チケットプリーズ」といい色ごとに順番をきめているようで 「ディスカラー プリーズ」と示していう。番号じゃないのよ。青や緑と引き渡ししたカードの色が 異なるようで ブルーのカードの私たちの番をまつ。目の前からはセスナが 飛び立っていく。滑走路は 短いけど 離発着ラッシュの時間のようだ。 カードをみせて 指示された飛行機へ。自由席らしい。通路の左にひとつ、右にふたつの座席で15列くらいは あったかも。大きい預け荷物は 操縦席の下にドアをあけて収納していれていた。あそこが収納場所なんて意外。手荷物は ひざのスペースしかおく場所がない。網棚もないし。あと残りの大きい預け荷物は 機内のうしろのあいたスペースに並べていた。 この飛行機だから トランクの大きいものは 重量制限があるのかと納得。追加料金を払えば大きい荷物も積載できるといわれたけど 考えたらエジプトのおみやげなど預けたままでいいものは お願いしたほうが 身も軽くていいにきまっている。 アナウンスもない。こんな方法で まちがった場所にいくということは ないの? 階段は ドアになり 中から収納していた。いじっていたスタッフが 前の操縦席にいき 操縦をはじめる。二人体制で 一人は 女性だった。操縦席への仕切りもない。マイクロバスみたい~ おしぼりも ジュースのサービスもない。かろうじてベルトのつけ方などの説明が カード状で座席のラックにあったかなというかんじ。もちろんベルトは しましたが。ジェットコースターみたいな銀色のベルトでした。音楽やら娯楽もない。機械音だけが 響く。 短い距離で 離陸。飛行時間は 40分くらい。ブランコにのってゆれているかんじ。マサイマラ国立保護区は 隣国のタンザニアとも接していて 動物は 境界なく行き来しているそうだ。ナイロビから260キロも離れているそうだ。 国立公園、動物保護区、国立保護区と分別される。国立公園は狩猟も許されない。国立保護区は地方自治体が管理するので動物が増えたときは一時的な狩猟が認められるそうだ。動物保護区は 私有地の場合もあるそうだ。マサイマラは 動物の種類も豊富で 人気のあるエリアだそうだ。こんな区分がるとは 帰国してから 知ったのだけど。 また二人の子ども 機内でも寝ている。本当に どこでも寝るから 驚き。同じ場所にいる時間があると寝ている。心臓に毛がはえているんじゃないの?息子なんて ここでもトイレにいって 売店をのぞいているし。どこでも同じ行動。 まったく 言葉も通じないところで 他人によく寝顔みせられるとあきれる。私には無理。電車やら 荷物をおいたままなんて足のあいだにはさんでいても 眠れないです。このちがいが あとで私だけ大変な体調不良をおこすのだが。 あ!象が。キリンが。機内から見えた。空をセスナが飛んでいようが 気にならない日常なのだろう。 高度がさがり こんなところが滑走路か空港かという場所に着いた。この飛行機を折り返し乗る人が待機しているのが見える。赤い土地。コンクリートなどない。木で囲われた柵で 駐車場がしきってある。電信柱、ビルなにも みわたす限りない。大地と空だけ。 たいへんな場所にきてしまったと実感した。 写真は たいしてきれいにとれてないし 息子が途中でカメラをあけてしまったりで 失敗作ばかりなのでいい動画サイトをみつけたので そちらで 気分だけでも味わってください。◎【ヴィンテージ品/昭和レトロ】 少年ケニアグラスセット 【クウネル・天然生活】