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カテゴリ:伊豫の今と昔の資料と考察
湯築城から岡豊城・中村城の瓦と同笵の瓦が出土したことから言えることは、同一職人或いは同一職人グループが作った瓦が、三つの城にあったと言うだけで、それ以上は何も語っていない。どこの職人がどこの土を使ってどこの窯で焼いたのか、などは今現在不明である。これらを明らかにするには、データの収集蓄積と分析を待たねばならない。 ところが、岡豊城・中村城と同じ紋様の瓦が出たと言うだけで、長曾我部氏の力が湯築城まで及んでいた証拠と見る向きもある。このような短絡的思考は論理を無視した暴論と言わざるを得ない。高知歴史民俗資料館の宅間館長の「土佐に瓦を焼く窯は無い。、泉州で焼かれたものとはっきり判っている瓦も出土している。問題の瓦も土佐以外で焼かれたもので、同笵瓦があちこち出土するのは当然である。湯築城・岡豊城・中村城から同笵瓦が出たことを以って、長曾我部氏が湯築城を抑えた証拠とすることは出来ない。」という論理明快な発言が正論と言うべきである。歴史を見るのに論理を欠いてはならず、史料や資料の恣意的な解釈は厳に慎まなければならぬ。【imajouの独り言から転載】 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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