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2005年03月12日
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今回は「既存のゲーム理論でなされている仮定を現実の世界に持ち込めばどのようなことが起こるのか?」について、「最後通牒ゲーム」という有名なケーススタディと共に紹介したいと思います。

最後通牒ゲームとはどのようなものなのかを簡単に説明します。

*********************************

(1)10000円を2人で分け合うという状況を想定します。2人は別々の部屋にいて情報交換は出来ないし、相手が誰かもわかりません。2人のうち、一方が「提案者」となり、他方は「回答者」となります。どちらが「提案者」になるかはコイン投げをして決めます。

(2)「提案者」は10000円をどう分けるか、つまり相手の取り分をいくらにするかを1回だけ提案することが出来ます。提案する金額は1円単位で調整可能としておきます。

(3)「回答者」はその提案に対して「YES」か「NO」を答えます。「回答者」もこの規則と金額は知っています。回答が「YES」なら取引は成立し提案通りの金額を各自が受け取ることが出来ますが、「NO」なら10000円は没収され2人とも何も得られません。

ゲームは一回限りでやり直しが出来ない場合、あなたが「提案者」ならどう提案しますか?

(上記の問題設定では、とりあえず分け合う金額を10000円としていますが、億万長者の人は、分け合う金額の桁を2つから4つくらい上げて同じ問題を考えてみてください。)

*********************************

この問題に対する、既存の経済学者の答えは以下のとおりです。

***

「提案者は相手の取り分を1円にして、自分は9999円を取りに行くべきである。」

なぜならば、お互いが自己の金銭的利益の最大化を目指すのだから、提案者は拒否されない限り、なるべく多くの金額を提案したほうが良い。金額を提示できるのは提案者であるあなたであり回答者にはその権利はないのだから、その気になれば1円という提案は可能である。

そして、ここが重要なのだが、自己の金銭的利益の最大化の観点から回答者は拒否は絶対にしないほうが良い。なぜならば、拒否すれば1円ももらえないのだから。したがって、提案者の金額がいくらであれ、もらえないよりはマシという理由で提案を受け入れる。

***

この答えに「すばらしい」と納得した人。あなたは立派な「経済学者」になれます。(でも、処世術としては最低だと思います。)

この経済学者の意見の何が問題なのかを考えたいと思います。経済学が想定する「規範」ではなく、現実の人間がどう考えているのかを見てみたいと思います。

***

1.回答者について
もしあなたが、「10000円のうち1円しか貰えない」という提案をされるとどんな反応をするか?

拒否すれば1円も貰えないのだから、そういう意味では「貰えないよりはマシ」という反応も理解なくはないですが、大抵の場合(私もそうだ)、「相手は9999円なのに、何で私は1円なんだ。そんな不公平は許さん。」という反応をすると思います。「そんな不公平を受けるくらいなら、受け取らないほうがいい。だからお前も受け取るな。」という反応をする可能性は当然あります。

この反応は「経済学的合理性」からは逸脱しているのですが、それが人間の本質というものです。


2.提案者について
提案者についても、処世術などから、回答者に対するそうした反応をある程度は理解しています。そのような事情から提案者についてはいくつかの理由から「相手の取り分を1円にする」という提案を避けます。

(1)相互応報的動機
「相手が好意的ならこっちも好意的になるし、敵対的なら自分もそうなる」というものです。すなわち、「1円という金額を提案すると相手に嫌われるのは確実である」ということを恐れてそうでない可能性を追求するというものです。

(2)純粋な利他心
「正しいことをすることに喜びを感じること」です。ここでは「何が正しいのか?」という哲学的問題はありますが、経済学的合理性とは明らかに反する正しさもここに含まれているというのは疑う余地はないと思います。

(3)純粋ではない利他心
「与えることの喜びを感じること」です。例えば、「寄付」という行為を挙げられますが、経済学的合理性の観点からは「寄付」という行為はハッキリ言って有り得ない概念なのです。

(4)平等志向
「能力に特段の差がなければ金額は同じであるべきだ」という考えです。提案する権利は提案者にあるものの、この事情を考慮すると1円を提案するのは明らかに不公平であると現実の人間は考えるのでしょう。

***

この「最後通牒ゲーム」の実験は、世界中の様々な大学で実験が行われていますが、各国の文化的背景や実験サンプルによって異なるものの、「経済学的合理性を支持する結果は出ない。」となります。

すなわち、多くの提案者は1円という金額を提示することをためらいますし、回答者は金銭的合理性とは違う原因から拒否する可能性があるということです。

この「ゲーム理論批判」から、投資やビジネスについての教訓として何が言えるか?

「経済学的合理性を持つことは投資やビジネスで成功するためには不可欠な要素の一つかも知れないが、それが過度になりすぎると今後は社会的合理性を損なうために思わぬ損失を被る可能性がある。」というものです。

最近、「企業買収」とか「株主提案」が盛んに行われています。こうした「企業買収」や「株主提案」によって「株主利益を重視した経営がされる可能性がある」という意味ではいいことだと思いますし、日本にはこうした意識をもっと持たなければいけないのも事実ですが、米国流のドラスティックな「資本の論理」だけで物事を語るのはいかがなものかとも思います。

ライブドアとニッポン放送のことが思いつくのですが、私から見れば「双方に問題あり」となります。

まあ、最近ではそういう思惑も含めて「資産バリュー株」を買っている部分があるので、こんなことを言うのも何なのですが・・・。

よく「和を尊ぶ」とか言いますが、それはそれで悪くないのだと思います。「米国流の資本の論理」と「和を尊ぶ日本の文化的背景」がバランスよくなるのが理想だと個人的には思います。

今日の言葉:
「資本の論理を前面に出してはいけない。うまくいかない。その刀は持っているけれど抜かないのだ、というのがよい。」
(永守重信:日本電産の会長)

P.S.
ちなみに、私が「最後通牒ゲーム」における「提案者」となった場合、相手に提案する金額は、

(1)1円は有り得ないです。そんな事をするのは「合理的な愚か者」です。
(2)9999円も有り得ないです。そんな事をするのは億万長者になってからでいいと思います。
(3)現実的には4999円~5001円です。理想的なのは「相手にフェアであると思ってもらいながらも自分のほうが得をしているという状況を作ること」です。5001円の場合「損して得を取れ」ですし、4999円の場合「少しくらい抜いても良いよね」というものです。どう判断するかは状況次第です。





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最終更新日  2005年03月12日 07時29分44秒
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test   inatora さん
testコメントです (2005年03月12日 06時11分00秒)

元経済学部目指していました   vis2004 さん
うーん、こんなことを真面目にやっているとは……行かなくてよかったです。 (2005年03月12日 06時42分11秒)

私なら半々を提案します^^;   toms2121 さん
 一回限りの取引の合理性と、今後ずっと続く取引の合理性は違うと思います。今後協力してやっていこうと思うなら半分ずつ分けるのがいいと思います。相手の能力のほうが高ければ、ことらの取り分が少なくてもOKだと思います。

 そうやっている人のほうに、人が集まってきます。そうするとその人はどんどん栄えていくと思います。実社会では、そのようにして社会的にも人間的にも成功している人が多いと感じています。
  (2005年03月12日 07時57分01秒)

具体例   toroi08 さん
不動産の仲介手数料を関わった業者二社で分け合う場合がこの理論に近いかもしれません。実際は、業務量にかなりの差があっても50%づつになってしまいます。「今回の業務量は明らかにこちらが多いのだから手数料の90%は貰いたい」などど自分から相手に主張したら、たとえ主張が相手に通っても次の取引はなくなります。

「今後、一生、交渉相手と関わることがない」
という前提があればこの理論は正しいのかもしれませんが、そんな考え方をする人とは付き合いたくないですよね。 (2005年03月12日 08時05分12秒)

コメントありがとうございます。   inatora2 さん
vis2004さん
>元経済学部目指していました。うーん、こんなことを真面目にやっているとは…行かなくてよかったです。

この「最後通牒ゲーム」は「既存の経済学のどこが問題であるか?」を端的に素人にも分かりやすく説明できる点で非常に有用なケーススタディーだと思います。

経済学者は「1円以外の提案をする可能性」を説明するために、後付けでこじつけたように作った「効用関数」を導入しますが、それは小手先のごまかしに過ぎません。

経済学的合理性を見直さない限り、現実を説明できる経済学にはならないと思います。

toms2121さん
>私なら半々を提案します。一回限りの取引の合理性と、今後ずっと続く取引の合理性は違うと思います。

スペースの都合上取りあげなかったのですが、実は「最後通牒ゲーム」には、1回限りの取引だけではなく、複数回の取引の場合もあって、それに対する実験もなされています。

複数回の取引の場合は、試行を繰り返していくうちに妥協点を見つけていくということになるのですが、いずれにしても「1円を提案すること」を否定しています。

>今後協力してやっていこうと思うなら半分ずつ分けるのがいいと思います。相手の能力のほうが高ければ、こちらの取り分が少なくてもOKだと思います。そうやっている人のほうに、人が集まってきます。そうするとその人はどんどん栄えていくと思います。

経済学的合理性が示唆する結果とは異なり、実験では、長い目で見れば提案者の利益も半々に限りなく近い場合が一番利益を上げています。1円だと拒否され続けるからです。

>実社会では、そのようにして社会的にも人間的にも成功している人が多いと感じています。

経済学者もこのあたりの現実に目を向けなければならないと思います。そういう意味では、経済学者はウンチクだけは一人前だけど人間的に魅力のなさそうな人たちなんだと思います。 (2005年03月12日 09時00分20秒)

コメントありがとうございます。(その2)   inatora2 さん
toroi08さん
>不動産の仲介手数料を関わった業者二社で分け合う場合がこの理論に近いかもしれません。実際は、業務量にかなりの差があっても50%づつになってしまいます。

これは、経済学的合理性では説明できない「平等志向」ですね。

>「今回の業務量は明らかにこちらが多いのだから手数料の90%は貰いたい」などど自分から相手に主張したら、たとえ主張が相手に通っても次の取引はなくなります。

そうなんですよ。経済学者が想定する人間というのは「他人を蹴落としてでも自己利益を追求する人間」ですから、短期的にお金を稼いだとしても、長期的には絶対にうまく行かないと思います。

既存のゲーム理論が示唆する結果を現実の交渉術に提供すると商談が破談する可能性が高いというのはこういうことです。

>「今後、一生、交渉相手と関わることがない」という前提があればこの理論は正しいのかもしれませんが、そんな考え方をする人とは付き合いたくないですよね。

ビジネスには信用が大事ですから、常に金銭的合理性だけを追求するのは問題があります。

だから、そのような人間観をベースとしている「ゲーム理論」関連の本を「自己啓発著書」として発行していること自体が非常に問題なんだと思います。

そんな訳で、サラリーマンも経営者も三流経済学者のウンチクに騙されちゃいけないと思います。(ちなみに、日本の経済学者は殆ど三流だと思います。)
(2005年03月12日 09時08分18秒)

経済学部でした・・・   salvatore さん
前回といい、今回といい、私が「かもねぎ」だったことがよくわかります。私が素直すぎたのかもしれません。
グレゴリーマンキューやマネタリストの勉強は楽しかったですが、現実世界の視点を考えると欠点が多いですね。自分の視点が広がった気がします。

今日も稲虎日記に出会って、本当によかったと再確認しました。視野が広がることはたいへんうれしいものです。 (2005年03月12日 10時20分09秒)

コメントありがとうございます。(その3)   inatora2 さん
salvatoreさん
>前回といい、今回といい、私が「かもねぎ」だったことがよくわかります。私が素直すぎたのかもしれません。

いえいえ。そんな事を言ってしまえば、数理ファイナンスの勉強をしていた私なんぞは、もっと「カモネギ」になってしまいます。

>グレゴリーマンキューやマネタリストの勉強は楽しかったですが、現実世界の視点を考えると欠点が多いですね。自分の視点が広がった気がします。

経済学の理論を知っておくというのは、「現実」でどんなおかしな政策がなされているのかを確認するための一つの材料にはなるかもしれません。

あるいは逆説的に、「役に立たないということを知っておく」という意味での効用はあるかもしれません。

今の日本の経済学者に必要なのは、「現実をもっと知ること」と「欧米の経済学の歴史的背景というのを知った上で日本に適用する」ということだと思いますが、残念ながらこの両方とも欠けていると思います。

>今日も稲虎日記に出会って、本当によかったと再確認しました。視野が広がることはたいへんうれしいものです。

結局のところ、私も実際に株式投資をやってみて、数理ファイナンスや経済学がおかしい理由が明確になってきましたので、そういう意味ではさまざまな出会いが視野を広くしているのだと感じています。
(2005年03月12日 10時41分09秒)

意見具申   ヒルコ2005 さん
ちょうど自分の日記でミクロ経済の話をしてました。だからというわけではありませんが、一点だけ言わせてください。(稲虎さまは心底尊敬していますし、意見するのは恐縮、というより恐いのですが・・・)

世の中、経済のイロハがわからない人もいるのに、経済学一般が無意味かのように言ってしまうのは危険だと思います。(そんなコメントが多いように思いました)


わたしの周りには、金融政策が何で景気回復につながる(とみなされている)かわからない人がいるんです。製品を差別化できる企業や、特許で守られている企業がなんでもうかるのか、説明できない人がいるんです。大学生でも利子率が上がると債券価格が下がることがわからない人がおそらく大半です。

経済学部出身者は一応説明できる・・・でしょう。ヒルコは経済学部ではないし、特に経済に愛着はありません。経済モデルは現実感覚が薄いという意見には同意です。ただ、現実に政府の政策はこの現実性の薄いモデルに従ってやっているんです。モデルを知らないと批判さえできません。逆説的ですが、この辺に経済学部の意義もあると思います。



だから・・・ぜひ経済学部で教鞭をとってください! (2005年03月12日 12時08分55秒)

コメントありがとうございます。(その3)   inatora2 さん
ヒルコ2005さん
>世の中、経済のイロハがわからない人もいるのに、経済学一般が無意味かのように言ってしまうのは危険だと思います。

これについてですが、現実の経済の話をするのに、経済学がどの程度説明力に寄与しているのかが重要になるかと思います。本来は学者の使命だと思うのですが、肝心な学者が頼りないのが現状です。

>金融政策が何で景気回復につながるかわからない人がいるんです。製品を差別化できる企業や、特許で守られている企業がなんでもうかるのか、説明できない人がいるんです。

これは、なかなか答えを見つけ出すのは難しい問題だと思います。私はもちろんのこと、最も優秀であると考えられる学者ですら難しいと思います。

>経済モデルは現実感覚が薄いという意見には同意です。ただ、現実に政府の政策はこの現実性の薄いモデルに従ってやっているんです。モデルを知らないと批判さえできません。逆説的ですが、この辺に経済学部の意義もあると思います。

これはおっしゃるとおりです。この状況こそ、真に優秀な経済学者がいないことに対して最も危惧すべき点ではないかと思います。

そういう意味では、一人ひとりが経済学の基礎を一通り知っておくべきなんでしょうけど、現実にはそうもいかないというのも事実です。

>ぜひ経済学部で教鞭をとってください!

残念ながら、経済学部で教鞭を取れるほどの知識はありませんし、また興味もございませんので、この点はご勘弁願えればと思います。

そういう意味では、私もブログでしか発言できない一個人であり、貧弱な「他力本願」人間なのです。

有用なコメントありがとうございます。今後は、ブログでの影響も加味して発言をしたく思います。(うーん。自由度がまた落ちてしまった。)
(2005年03月12日 12時28分39秒)

いつも楽しく見させていただいています   うくすつ さん
はじめまして、うくすつと申します。先日勝手に日記をリンクさせていただきました。いつも楽しく読ませていただいており、大変勉強になります。

個人的にはゲームの理論などの経済学は、情報の取捨選択を間違わなければ大変有用だとおもっています。そういう意味で2ちゃんねると同じような感じです。稲虎さんの日記を読むとそういう自分の考え方というのを再認識できるため、非常にありがたいです。

これからも"自由度を落とした日記"ではなく、自由な立場で書かれた日記を楽しみにしています。もし他の人に対する影響を気にされるようでしたら、"私はこう思いますが皆さんはどうですか?"というような問題提起で締めれば良いのではないでしょうか。

最後に、自分はこの日記を読むことで経済や経営に対する考え方が、レベルアップしたと感じています。有用な情報をありがとうございます。 (2005年03月12日 14時23分08秒)

大変ためになる   ポッチ23 さん
お話どうもありがとうございました。
心の知能指数を高めないと投資では成功しないですよね。 (2005年03月12日 23時12分02秒)

コメントありがとうございます。(その4)   inatora2 さん
うくすつさん
>個人的にはゲームの理論などの経済学は、情報の取捨選択を間違わなければ大変有用だとおもっています。そういう意味で2ちゃんねると同じような感じです。

理論と現実のギャップを把握した上で、実際の政策に応用するというステップが大事かもしれません。今回のケースのように、理論と現実があまりにもかけ離れているということもありますので。

>これからも"自由度を落とした日記"ではなく、自由な立場で書かれた日記を楽しみにしています。もし他の人に対する影響を気にされるようでしたら、"私はこう思いますが皆さんはどうですか?"というような問題提起で締めれば良いのではないでしょうか。

ありがとうございます。これはいいですね。採用させていただきます。

>最後に、自分はこの日記を読むことで経済や経営に対する考え方が、レベルアップしたと感じています。有用な情報をありがとうございます。

ありがとうございます。今後とも期待に沿うような日記を続けたく思います。

ポッチ23さん
>大変ためになるお話どうもありがとうございました。心の知能指数を高めないと投資では成功しないですよね。

「心の知能指数」必要ですね。ペーパーテストで偏差値が高いエリートではなくて、現実も踏まえた上で意思決定が出来るというのが投資には必要なんだと思います。

しかし、既存の経済学は、行動規範が仮定されていることで結論が分かっているという意味で、「偏差値主義」の人に向いている学問のような気がしますし、日本の研究者はそっちばかりのような感じがします。

偏差値教育の弊害が大学教授にも影響を及ぼしているのだと私は思っています。
(2005年03月13日 08時42分50秒)

行動経済学   masasan さん
最近はやっていますネ!私は自分の専門の関係上、どうしても心理学の知識が必要なため勉強しているのですが、「何だかな~」と思ってしまうことも多々あります。自分の主張したいことに関して「良いとこ取り」という気がして、その点では「効率的市場仮説」と同じような状況になりつつあるとも思えます。
例えば、心理学からみた異常行動、正常行動というのは、あくまでも相対的なものです。対象となる集団の、倫理観、生活習慣、時代背景など、様々な要素が関わってきます。一例をあげれば、通常の社会では人を殺せば罪人として処罰の対象となりますが、戦争状態では最も効率よく人を殺したものが英雄として賞賛されます。
現在の心理学の問題点の一つは、様々な心理学実験が行動主義的方法論に依存していること(というか、それ以外の方法論がほとんど確立していないこと)で、しかもその実験対象が、ほとんどの場合欧米のキリスト教徒を対象としていることです。
行動経済学とは直接は関係ないですが、
小沢 牧子: 「心の専門家」はいらない 洋泉社新書 ¥735
は中々考えさせられました。
(2005年03月13日 13時59分47秒)

7:3かな   akipop さん
面白いゲームがあるものですね~。

私は提案者であれば7000円:3000円でしょうか。
自分が回答者になった事を考えると、3000円であれば捨てるのは惜しいと思いますので。

今回のゲームは相手が誰かわからないんですから、今後の事は考える必要がありません。単純に妬みについての部分だけを考えればいいと思います。 (2005年03月13日 18時49分56秒)

コメントありがとうございます。(その5)   inatora さん
masasanさん
コメントどうもです。

>私は自分の専門の関係上、どうしても心理学の知識が必要なため勉強しているのですが、「何だかな~」と思ってしまうことも多々あります。自分の主張したいことに関して「良いとこ取り」という気がして、その点では「効率的市場仮説」と同じような状況になりつつあるとも思えます。

「既存の経済学の行動規範で現実を説明しようとするのはまずい」ということを心理学的側面から検証してみたという解釈でいいのではないかと思います。

全ての事象を心理学で説明できるというのはさすがに厚かましいとは思っています。

>心理学からみた異常行動、正常行動というのは、あくまでも相対的なものです。対象となる集団の、倫理観、生活習慣、時代背景など、様々な要素が関わってきます。

これは難しいですね。哲学でいう「正しさとは何か?」みたいな話をしなければなりませんので。

>現在の心理学の問題点の一つは、様々な心理学実験が行動主義的方法論に依存していることで、しかもその実験対象が、ほとんどの場合欧米のキリスト教徒を対象としていることです。

なるほど。これは知らなかったです。適用する人類が違えば、反応も違う可能性は有り得ますね。

>行動経済学とは直接は関係ないですが、
>小沢 牧子:「心の専門家」はいらない
>は中々考えさせられました。

この本は見たことあります。心理学も心理学者も必ずしも額面どおりには受け取れないですね。まあ、社会科学全般にこのような問題は存在するのだと思います。

私も勉強不足の部分がありました。有用なコメントありがとうございます。 (2005年03月14日 22時02分47秒)

コメントありがとうございます。(その6)   inatora さん
akipopさん
>面白いゲームがあるものですね~。私は提案者であれば7000円:3000円でしょうか。自分が回答者になった事を考えると、3000円であれば捨てるのは惜しいと思いますので。

確かに、3000円は惜しいですね。状況次第では、ここが妥協点になり得るとは思います。

>今回のゲームは相手が誰かわからないんですから、今後の事は考える必要がありません。単純に妬みについての部分だけを考えればいいと思います。

確かに今回のゲームはあくまでも実験に過ぎないのですが、現実の交渉に適用した場合において、自分の権利をどのくらい主張できるかという状況を勘案すると、こういう回答は十分に有り得ますね。

まあ現実の世界では、「相手に1円を提示するというのが賢明であり合理的であるという状況はかなり限られている」ということが理解できればいいのではないでしょうか。

「現実の交渉では人間の行動特性をもっと研究したほうがいい」という当たり前のことが経済学では考慮されていないということです。 (2005年03月14日 22時08分38秒)

はじめまして   香港投機家 さん
これは「非協力ゲーム」の単純例で、確か「協力ゲーム」もあったかと思います。後者の場合互いの効用を最大化する折半を選ぶはずです(違ったらすいません。。)理論は概してそのまま利用できませんので、個人の応用力による部分が大きいのではないかと思いました。 (2005年03月14日 23時09分20秒)

協力ゲーム   inatora2 さん
香港投機家さん
>これは「非協力ゲーム」の単純例で、確か「協力ゲーム」もあったかと思います。後者の場合互いの効用を最大化する折半を選ぶはずです(違ったらすいません。)

今回の「非協力ゲーム」という設定においてさえ、プレーヤーは協力することもあり得るというのが重要な趣旨です。

ちなみに、協力ゲームの場合、効用関数次第で1円~9999円のいずれをも正当化できる可能性があります。問題は、「実際の交渉において、それぞれの交渉者について、効用関数をどのように置けば頑健であるか?」というのがなかなか分からないという点であるかと思います。

>理論は概してそのまま利用できませんので、個人の応用力による部分が大きいのではないかと思いました。

したがって、一般化することは非常に難しくケース・バイ・ケースでやるしかない部分はどうしても存在します。

非常に微力ながら、人間の行動特性を研究することで解決の糸口が見つかっていくのではないかとも考えています。

それでも、完全な解決にはならないと思いますが。 (2005年03月15日 03時12分17秒)

引用していただいているようなので、トラックバックしておきました。   yutamoni さん
アナリスト大会での永守さんの話を引用していただいているようなので、トラックバックしておきました。 (2005年03月15日 09時36分39秒)

出遅れちゃいました   伝説の芹沢 さん
ちょっとだけ差をつけて、相手に先に選ばせます。
許容範囲は1000円弱ぐらい。
先に選んでもらうことで、自分よりも相手をより尊重している「いい人」を演じつつ(笑)、実は、先に選んでいいよ、と言われた方は少ない方を選ぶ確率が高いのでは~、と思います。

でも最近は物欲が低いので、、、あげちゃうかも(爆) (2005年03月16日 00時02分11秒)

コメントありがとうございます。(その7)   inatora2 さん
yutamoniさん
>アナリスト大会での永守さんの話を引用していただいているようなので、トラックバックしておきました。

トラックバックありがとうございます。コメントを残しましたので、ご確認ください。

伝説の芹沢さん
>ちょっとだけ差をつけて、相手に先に選ばせます。許容範囲は1000円弱ぐらい。先に選んでもらうことで、自分よりも相手をより尊重している「いい人」を演じつつ(笑)、実は先に選んでいいよ、と言われた方は少ない方を選ぶ確率が高いのでは~、と思います。でも最近は物欲が低いので、、、あげちゃうかも(爆)

結局のところ、現実の人間には少なからず思いやりがあるのだと思います。これは経済的合理性では説明がつかない現象で、このあたりをもう少し研究するようになれば経済学も一歩先に進めるのではないかと思います。

(2005年03月16日 22時54分49秒)

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