最後のラッパ
一夢庵 怪しい話 第4シリーズ 第320話 「最後のラッパ」 聖書には旧約聖書と新約聖書があり、旧約聖書に関しては、ユダヤ教、イスラム教、基督教といった中東起源の宗教の多くが文字通り”聖なる書物”としているといった話はこれまでにもしてきたところではあります。 それに対して新約聖書は、基督や基督周辺にいた十二使徒や他の宗教関係者などの言行録とでもいった内容で、ある意味で基督教とにとってのテキストであるところから、他の(特に一神教を信じる)宗教関係者からすれば別に聖なる書物では無く、あえて聞かれれば邪教の妄執の記録とでもいったことになります。 しかしながら、そんな新約聖書の中で異彩を放っているのが巻末に置かれていることが多い”ヨハネの黙示録(THE REVELATION OF JESUS CHRIST)”で、内容的には偽書、偽典として処理されてもしかたがないリスクを内包しています。 もっとも、”一読したくらいでは何が言いたいのか何のことなのかさえ分からない”人の方が多く、かといって数百とか数千といった回数で読み込んだとしても何のことか見当も付かない人の方が多かったようで、”解釈不可能な部分が多くあるものの、団体のトップが書いたものなので無かったことにもできなかった”ようです(笑)。 それは、ある意味で公開鍵暗号方式で書かれた文書のようなもので、読解の鍵を持つ人には内容を読み解くことができても、持たない人にとっては意味不明な文字の羅列に過ぎない代物でしかなく、古来、さまざまな解釈が試みられてきたことは言うまでもありません。 では、まったく内容が意味不明なのか?というと、幸か不幸か、その後も聖人とか聖女と呼ばれた基督教関係者の中で幻視能力を持つ人達によって読解されたというか、”見えた光景”を解説されてきたようですし、科学技術や政治情勢が進んでくると普通の人にも朧気ながら黙示録の内容が見えてきたと書いて良さそうです。 逆に、宗教を小馬鹿にしてせせら笑っていた人達の一部に戦慄が走ったのが、チェルノブイリ原子力発電所の事故で、あの事故が発生したときに、ヨハネの黙示録は現在進行形で現実のものとなりつつあると感じて何らかのリアクションを起こした人達と、その先に裁きの日しか待っていないのにポケットに金をねじこむことを止めない人達に別れ始めたと言えます。 正確には、チェルノブイリ原発事故の後も何度かあったターニングポイントを過ぎるまでに生き方を変えた人達と、そういった人達をせせら笑う人達とに分かれていったのですが、それもまた黙示録が示す終末の光景に過ぎなかったりしますし、基督がその救いようの無さを何度と無く嘆いた現象であることは言うまでもありますまい。 私の知る限り、基督は人類の終焉が回避できると言ったことが一度もなく、万人に確実に避けることができない終焉が訪れるが故に、死に臨んでじたばたせず後悔しないように生きていく生き方を説いているに過ぎず、しばしば書いているように、人類最後の日の直前に病気や事故で死ぬ人が確実にいるわけですから、裁きの日だけを怖れるのはナンセンスだとも言えます。 そしてそれは清く正しく美しく生きたところで裁きの日が訪れることを回避することは出来ないことを明示している教えでもあり、他人の決めた善悪の指標に基づいて怯えながら生きていく生き方を指導するのではもちろん無く、ある意味で自分たちの持つ既得権益や権威を維持するために他者を抑圧する人達を糾弾し続けた一生だったと書いていいのではないかとも思います。 その意味で、基督教というのは(少なくとも当時の)既得権益の上に安住している人達に対する革命思想を内在していた教えであり、それ故に、既得権益を有していた人達から弾圧され、磔にまでされたわけですが、磔にされたことで基督の教えは完結し実証されたとも言えるわけですし、それでもなお残された高弟の中に生き方を変えることができなかった人達がいたことも確かな話になります。 それはさておき、チェルノブイリ原発事故で注目を集めることになったヨハネの黙示録の一節というのは、黙示録の8章から10章にかけてなのですが、その前段として7つの災厄によって人類が滅びていくという大枠がヨハネの黙示録にはあり、その時が来たことを告げるために、7人の使徒(天使)がそれぞれの時期にラッパを吹き鳴らして知らせるとしています。 第8章の6節などが典型で、 And the seven angels with trumpets got themselves ready to blow them. といったことになっています。 で、具体的なチェルノブイリ原発事故のことではないか?とされた部分が、 The thirad angel blew his tramped,and a huge star,blazing like a torch,fell from the sky and came down one-third of the rivers and on the water springs. から始まり、 The star's name is Wormwood,and one-third of waters turned to wormwood.Many people died from water,because it had turned bitter. と補完してとりあえずのお終いとなります。 ざ~っと訳すと、 ”第3の使徒(天使)がラッパを吹き鳴らすと、松明のような大きな火が空から落ちてきて河川や水源の1/3が関係することになった。この星の名は”ニガヨモギ”と呼ばれ、、水の1/3が”にがよもぎ”のように苦くなり、苦くなったことで多くの人が死んだ。 とでもいったことになり、それは”起こったこと”であり回避することが出来ない確実にやってくることになっているわけです。 なぜに、この部分がチェルノブイリ原発事故なのか?というと、チェルノブイリを日本語訳すると”にがよもぎ”になることと、放出された放射性物質による(ものによっては数万年を越える単位の)汚染の結果が類似しているためです。 そして、2011/03/11~12頃に発生したと見られる福島原発事故の汚染規模もまたチェルノブイリを凌ぐ規模となりつつあり、小さく見積もっても戦術核が使用された程度の汚染が生じているわけですが、これを書いている時点で放射性物質の放出がまだ止まっていないあたりで事態はより深刻だと言えます。 なによりも、”除染”という言葉が一人歩きして、あたかも拡散した放射性物質を取り除くことができるかのような詭弁を弄し、本来は速やかに可能な限り遠方へ疎開させるべき地域に住人を呼び戻す犯罪行為が国家や地方自治体によって強行されている現実を前に(後略)。 以前にも書いたように、核戦争などを想定した状況下での”除染”というのは、石鹸水と大量の水で衣服や体表に付いた放射性物質を洗い流す行為のことで、広域拡散した放射性汚染物質を取り除くことに成功した事例どころか広域除染の経験そのものが過去に無く、チェルノブイリ原発事故絡みでも未だに汚染され続けていることは言うまでもありません。 行政の存在理由が、住人の生命財産を守ることにあるとするのならば、少なくとも放射性物質で高濃度汚染された地域から半永久的に住人を疎開させるべきですし、除汚と称する行為は逆に汚染を拡散するだけでかえって疎開と生活再建を遅らせることで事態を悪化させる欺瞞行為でしか無いのではなかろうか? もちろん、そういったリスクを承知で住み続ける人達を止める気は無く、人は自らの意志で死に方を選ぶ権利があるとも思いますから、私がこれ以上のことをとやかく言う必要は無いのですが、それならそれで”絆”なんぞという言葉を使って欲しくありません。 私的には、福島原発事故で生じるであろう近未来の光景と1-295”沈黙の春”で描かれた春の光景が重複していて、その透明な美しい恐怖とでもいったものに共通した戦慄を感じているのですが、ミダス王の末裔達にとってはそういった本能レベルの恐怖よりも知性のもたらす金の輝きが最優先事項ですから、生き方がそもそも違うわけです。 なによりも、最後の審判が近づいているというか審判が下されて人類の大半が滅びかけている状況下でさえも、金銀財宝を最優先とする生き方を変えない人は多く、彼等がそういった価値観を変えないことは、ヨハネの黙示録も断言している終末の状況だけに、私ごときが気に病むだけ野暮で、具体的には9章の20節で、 But the rest of humanity,who were not killed by those plagues,did not repent from the works of their hands,so as to cease worshipping demons and the idols of gold,silver,bronze,stone,and wood,that can neither see nor hear nor walk. とし、続く21節は、 Nor did they repent of their murders,or of their magic arts,or of their immorality,or of their thefts. といった記述になっていまして、これから分かることは、自分の生き方を変える方が他人にあれこれ言うより簡単ということと、そもそも魂の救済を含めて救済を望んでいない人が珍しくないということではないか?と私には思われてならないわけです(笑)。 それはさておき、前述したように、裁きの日が到来するまでに7人の使徒がそれぞれラッパを吹き鳴らして事態が進んだことを告げるというのがヨハネの黙示録の大枠としてあり、少なくとも第3の使徒のラッパは吹き鳴らされたと解釈できる状況になっていると考える人が多くなっています。 逆に言えば、残り4回の最後のラッパは鳴ったのか?鳴ってないのか?鳴ったとすれば何回目のラッパまで鳴ったのか?を気にする人が珍しく無くなってきていて、2011年の夏ごろから世界のあちこちで、”終末の音(アポカリプティックサウンド)”と称される音が鳴り響き始めていることが話題になっていたりもします。 まあ、めんどくさくなった残りの使徒たちが一斉にラッパを吹き鳴らし始めたと言われても信じてしまいそうですが、インターネットなどで”終末の音”とされる音や映像が公開されてはいるものの、なぜそういった音がするようになったのか?は(これを書いている時点では)不明という事例が大半のようです。 ヨハネの黙示録の4人目の使徒以降の話などはまた別の機会に。 初出:一夢庵 怪しい話 第4シリーズ 第320話:(2012/01/14)