『おはようございます。』
『おはようございます、トシゾウ様。昨夜は良く眠られましたか?』
翌朝、歳三がアバーモフ伯爵邸のダイニングルームに入ると、ドミトリィが笑顔を浮かべながら彼に挨拶してきた。
『ええ、まぁ・・それよりも、伯爵はどちらに?』
『あぁ、父は朝の日課の散歩に出ています。暫くしたら戻る事でしょう。』
ドミトリィはそう言って母・ヒルデの方を見たが、彼女は不機嫌な表情を浮かべながら紅茶を飲んだ後、そのままダイニングルームから出て行ってしまった。
『何か奥様の気に障るような事を言ってしまいましたか?何せ露西亜語にはまだ疎いものですから・・』
『母は時々気分の浮き沈みが激しくなるのです。トシゾウ様の所為ではありませんから、どうぞご安心ください。』
ヒルデの退室が、自分の所為なのではないかと思っている歳三に、そう言って彼を安心させたドミトリィがコーヒーを飲んでいると、そこへ朝食のワゴンを押したアデリアが入って来た。
『トシゾウ様、おはようございます。』
アデリアはそう言うと、歳三に微笑んだ。
『おはよう。』
歳三が彼女に素っ気なく挨拶すると、彼女はそれが気に入らなかったようで、不快そうに顔を顰(しか)めた。
「兄さん、僕はこれからドミトリィさんとウラジオストク市内を観光するよ。仕事で根詰めてばかりいると倒れてしまうからね。」
「息抜きは必要だ。気を付けて行って来いよ。」
「わかったよ。」
朝食後、彬文とドミトリィを玄関ホールで見送った後、歳三が客室に戻ろうとすると、部屋の前にはアデリアが立っていた。
『何か俺に用か?』
『昨夜は余り乗り気ではありませんでしたね。』
アデリアはそう言うと、歳三にしなだれかかった。
彼女の身体から、芳しい薔薇の香りがした。
『メイドの癖に香水をつけてるのか?』
『旦那様はわたくし達に香水をつけるように義務付けていらっしゃるのです。それよりもトシゾウ様、今からわたくしと楽しい時間を過ごしませんか?』
『こんな朝っぱらから盛る気はねえよ。俺の事は放っておいてくれ。』
『まぁ、つれない方。』
アデリアはクスクスと笑いながら、そう言うと歳三の元から離れた。
『アデリア、またあんたあの日本人にちょっかいを出してるの?』
『あらオルガ、盗み聞きしていたの?』
アデリアは同僚のオルガの方を見ると、彼女は大袈裟な溜息を吐きながらアデリアを呆れ顔で見た。
『ドミトリィ様から、あの方にはちょっかいを出すなって言われているじゃないの?どうして勝手な事をするのよ?』
『あの方が気になって仕方がないの。それに、わたしがあの方の恋人に似ているのですって。でも、似ているのは顔だけみたい。』
『へぇ、どんな人なのか気になるわね、あの方の恋人。』
『こら、そこの二人!喋っている暇があったら仕事なさい!』
廊下でアデリアとオルガそんな事を話していると、メイド長のユーリアが目敏く二人を見つけて厳しく彼女達を叱った。
『さてと、仕事しないと。』
『そうね。』
メイド服の裾を翻しながらアデリアはオルガと共に階下へと降りていった。
同じ頃、哈爾浜(ハルビン)の満韓楼では千代乃が自室の鏡台の前で化粧をしていた。
『女将さん、今入っても宜しいでしょうか?』
『いいわよ。』
『失礼いたします。』
部屋の扉が開き、ファヨンと共に入って来たのは何処か思いつめたような顔をしたジニだった。
『ごめんなさい、こんな朝早くに伺ってしまって。実は、貴方に相談したいことがあるの。』
ジニはそう言うと、何処か落ち着かない様子でチョゴリの胸紐を指先で弄(いじく)り始めた。
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