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2017年01月24日
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カテゴリ:広井勇&八田與一
八田與一の台湾土地改良に対する意見 その1

2 八田與一と嘉南平原の土地改良
 八田は、1917年に嘉義急水渓灌漑水壩(は:堰)建設の可能性を調査するように命じられたときに、急水渓の畜水能力では、予定の灌漑面積に満たないことを発見した。同時に、意外にも嘉南平原には灌漑の必要な土地が10万甲(甲は約0.97ヘクタール)近くも存在することが分り、そこで急水渓に替る適当な水源を探したところ、官佃渓上流の烏山頭地方にオランダ占領時期と清代に建設された小型の水利工事の遺蹟が見つかり、続いて亀重渓上流でもダムの建設に適当な場所を見出した。そこで、八田は官佃渓と亀重渓にダムを建設し、水路を修築して、嘉南平原に一大灌漑工事を行うことを構想した。また、排水施設を修築すれば、10万甲近くの土地が改良可能であると考え、洪水・干ばつ、塩害等の問題を一挙に解決して、嘉南平原を稲作農地にできると考えた。こうして、八田は嘉南平原における大規模な灌漑施設建設の計画書を提出した。その内容はすでに、灌漑区域内に3年間で甘蔗一回、水稲二回の輪作が可能であるという主張の提起にまで及んでいた。
 1918年に八田と内務省技監原田貞介は再び実地調査を行い、報告書では初期構想をやや修正して、官佃渓上流にダムを建設するとともに直接濁水渓から水を引き、嘉南平原全体15万甲の土地を灌漑区域にすることを建議した。水源不足をどのように解決するかの問題については、八田は具体的にその「三年輪作給水法」の構想を次のように述べている。
「これは、私の技術的としての意見というよりも、思想的なものかもしれませんが、二つの水源から、毎年給水できる面積は、よくて七万甲足らずでしょう。従って、この七万甲からは毎年米が獲れるようになるでしょうが、給水を受けない残りの土地は、不毛のままで残り、米はおろか、甘蔗や雑作物さえもろくに獲れない状態が永久に続くようになります。そうなれば、給水を受ける農民は収入も増え豊かになり、その地域だけは近代農法が行われるようになるでしょう。だが、そうでない農民は封建的な農法がいつまでも続き、貧しさから脱却することはできません。同じ嘉南に住む農民が住んでいる場所の違いだけで、富める農民と貧しい農民とに、はっきり分かれてしまうことになります。これは、台湾の将来にとっても決して良いことではないと思います。私は農家の出身ですが、耕しても耕しても作物の出来ない土地に住む百姓ほど、みじめな者はおりません。私はそこで、嘉南平原を二つか三つに分けることを考えました。そして年ごとに給水すれば、嘉南の農民のすべてが平等に水の恩恵にあずかります。そうすれば、二つの水源で充分間に合います。
 水が来る地域は米を作り、来ない地域は甘蔗や雑作物を作れば良いと思います。現在、米価が高いため、甘蔗を作るのを嫌がっています。そのため、台湾の糖業は原料の供給が想うように伸びず悩んでいます。その解決にもなるし、第一、嘉南の農民が近代農業とはどんなものかを知るようになります。嘉南十五万甲を灌漑する以外にないように思います。」



(続く)





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最終更新日  2017年01月24日 04時03分15秒
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