新日系人
日本語を知らない新日系人日本がバブル成長時期(1980年代後半)、多くの新日系人が誕生しました。日本へはジャパユキとして興行査証で出稼ぎ、中には身ごもって帰国したフィリピン女性も少なくありません。現在20歳を過ぎている新日系人がフィリピンには大勢います。今日は新日系人ハナの新学期がスタートしました。お父さんを知らない子供8年前のアメリカからの圧力で激減したジャパユキさん、父親の顔を知らない新日系人。父親だけでなく母親からも見放された子供も少なくありません。経済的に生活が出来なくなり施設(孤児院)に入った新日系人もいます。ハナの学校は家族のものが送り迎いをしなければなりません。朝6時半には家を出ます。両親から見放された子供両親から見放され孤児院に、日本人のお父さんを持ち認知をされない子供たち!日本に家族があってフィリピン女性とは遊びから始まるケースが多く、妊娠がわかると離れていくケースです。フィリピンでは宗教的に妊娠中絶が出来なく不幸せになることが分かっていて生まれてくる子もいます。新日系人にとっては幸せとはいえません。ハナのバックの中は全教科の本とノートが入っていますので相当の重さです。親の愛情をを知らない子供クリスマス、誕生日にはお父さんがいません。仕送りも1年、2年と時間が経つにつれ送金額が少なくなり、最後には連絡もつかなくなるケースもあるようです。顔と名前は日本人、でも全く日本語が話せない日系人!これで良いのですか、お父さん!せめて子供が大学卒業までは父親として責任を取って欲しいと思います。給食がないセブの学校ハナのバックの中にはランチBoxの他に10時のスナックも入っています。連絡を取ってください!一度でいいので自分の子供を抱きしめてあげてください。フィリピンは多くのお金がなくても食べる事は可能ですので少しの仕送りを!私の子供も新日系人です!にほんブログ村この情報がお気に召しましたら応援クリック(日の丸)をよろしくお願いいたします