|
カテゴリ:カテゴリ未分類
「源氏物語」を原文で読むことを「素読(そどく)」と言います。
現代語訳では、ごくありふれた言葉が、原文で読んだ時に誰もが一瞬、顔を見合わせたり、微笑んだり、苦笑いをしたり、あるいは大きな声で笑う箇所があります。 これは、千年前と現代の日本語とでは、その言葉のもつ意味が違っている場合があるからです。 そこで、一つの例をあげます。 「手習(てならい)」の巻の中の一場面で、誰しもが思わず微笑んでしまう箇所の原文があります。 入水した浮舟は、横川の僧都(そうず)に命を救われます。 静養していた浮舟のために、周囲の人々が横笛を奏(かな)でたりして、浮舟の心を少しでも慰(なぐさ)めようとしています。 横川の僧都の母で、八十歳になる大尼君(おおあまのきみ)が、中将の君が奏(かな)でる下手な横笛が聴くにたえないので、周囲の尼たちに琴を持ってきて奏(かな)でるように勧(すす)めます。 原文の箇所は、下の写真9行7字目から22字目まで。 現代語訳にすると次のようになります。 「どうしたのですか、あなたがた。さあ、琴をとってきて弾いておあげなさい」 原文が記している箇所の「原文の読み下し文」を、後に記したのには理由があります。 原文の「素読」をしている時に、この箇所の原文を初めて読んだ人の多くが微笑んだり、苦笑いをしてしまいます。 9行目7字以下の原文の読み下し文は、次の通りです。 「いづら、くそたち、きん(琴)とりてまいれ」 この「くそたち」という言葉は、「代名詞」で、千年以上も昔に使われていた言葉です。 ごくごく親しい仲間うちで、目上の人が目下の人に敬愛を込めて使う言葉で、「あなたがた」あるいは、「あなた達」という意味で使います。 この場合、大尼君は目下の尼たちに言った言葉になります。 千年前と現代とでは、使用する意味が違っているために、原文で読んだ場合、つい笑みがこぼれてしまう箇所の原文になっています。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
昔の言葉でも、今聞くと下品に聞こえて面白いものがあるんですね。源氏物語なのに笑いました。
(2003年07月04日 09時43分57秒)
はじめまして!源氏物語は学生の時に原文と現代語訳を交互に見て一生懸命読んだ事が懐かしい思い出されます。(有名な箇所しか読んでませんが・・・)<br>
(2003年07月04日 17時02分33秒)
こんばんは、真面目なところにいきなりこの単語は、クスッと笑えますね。表意文字の漢文はなんとなく意味が伝わるから好きで、古文はひらがなの不思議な使い方をするから「?」と敬遠していました。歌うように素読をして楽しんでいたら、100万回も口ずさんでいたらおのずと意味がわかりますね。んなわけないかー。<br>瀬戸内寂静さんの源氏などから入ったらいいのかな。<br>ではまた。
(2003年07月04日 19時59分40秒)
|
|