神様の話 大日月地神示 後巻 十三
さて、今日も 神人様- 大日月地神示 後巻 十三 をお伝えします。 悪自由ならんのであるぞ。何申しても何いたしても自由と申せば、なんと楽なことかと人民早合点いたし喜ぶなれど、今の人民好き勝手いたせばどうなるか。悪自由と申すは、悪魔の教えであること気づかぬか。皆々好き勝手いたせば和は乱れに乱れ、世の中ますます揉めに揉め、生き物も皆々苦しむのであるぞ。力の世となりて偏りて、地の調和崩れるのぞ。みな我の自由じゃと申して、人民、話聞けぬようになりますのじゃ。国もまとまらぬようになりて、総崩れいたすのじゃぞ。人民一つになりて大きい力持たせぬようにいたすため、悪魔は悪魔の僕遣いて、国、人民に悪自由を植え付け、皆をばらばら引き離し、操りやすいようにいたした策略であったのぞ。見てみなされ。和すこと出来ぬようになりて、引き籠りて一人の世界におる者、多いではないか。人民、日々言葉磨き身魂磨きいたさねば、悪魔の容れ物となりて、好き勝手もの申し好き勝手いたす、我がまま幼稚な御魂となりますのじゃ。 神の民、日の民は、ますます愚の民となっておりますのじゃぞ。和すこと出来ぬようになれば、力弱くて、一人一人捻り潰すも簡単であるから、悪魔は悪自由人民に植え付け、上手いこと申し、観させ聞かせ食わせ遣らせ、逃れられぬように洗脳いたし、悪自由の奴隷にいたしてきましたのじゃ。悪魔の甘い罠が、悪自由悪平等でありましたのじゃぞ。世の臣民殿、陰謀論者と笑っておいでじゃが、見てみなされ。九分九厘が悪魔の仕組みに変えられて、人民、金の亡者となりて身動き取れんようになって、子が親殺し親が子を殺し、男が女に女が男になりて、すねの毛、尻の毛まで抜かれ、骨なしの輩になりて、毒盛られても何も分からぬと申し笑っておるでないか。真の教え分からぬままに、悪魔の僕となっておりますのじゃぞ。 人民、良いか。言葉は選ばねばならんのじゃぞ。言の葉は、もの生みますぞ。己作りますぞ。世生み出して参りますのぞ。言の葉は力ぞ。靈と繋がりますのじゃ。どのような靈と繋がるかは、言葉で決まりますのじゃ。良き言葉は良き者らと繋がるもの、悪しき言葉は悪しき者らと繋がるもの。自ら悪魔呼び寄せ、悪魔の容れ物となって下さるなよ。外国言葉使えば、外国御魂の容れ物となりますぞ。流れ来るもの違いますのぞ。念、教え、靈力、皆異なるぞ。 この地はこの地の言葉、教え、昔からあるのじゃぞ。大昔から神の言葉あるのじゃぞ。無きものにされておるが、神、言葉伝えてきた所であるのじゃ。言葉の生まれ育ち、歴史分かれば簡単なことじゃが、人民、真の歴史分からぬようにされておるゆえ無理もないなれど、世の民は悪魔の言葉使いて悪魔褒め称え、呼び寄せる言葉口にいたしておること知らんのであるぞ。言葉は思考選ぶことじゃ。思考は靈と関わる所じゃ。どのような者と関わるか、言葉で決まる。己、選ばねばならん。悪魔の言葉口にいたせば、悪魔悪靈に魅入られ好き勝手にされますぞ。知らず知らずに操られ、望まぬことまで思わされ、可笑しなこと申し可笑しなこといたす者となりますのじゃ。 見てみなされ、世は可笑しな者たちで溢れておるではないか。今の世は、悪魔に支配された後の世でありますぞ。まだ洗脳されておる状態であるから、悪魔の言葉使いて、悪魔の好き勝手されている人民、悪魔の容れ物となりておりますのぞ。人民、そのままで良いかな。何申しても何いたしても自由では、皆々苦しくなるばかりであること分からねば、まこと喜び溢れんばかりの新たな世の立て替え立て直しは出来ぬのぞ。真分かる臣民人民を増やして下されよ。分かりた者から真教えて下されよ。悪魔の教え、偽り、嘘の世は終わりにいたすのじゃぞ。 まずは己見極めること肝心じゃ。甘い言葉に騙されるでないぞ。先にゆくほどに苦しくなるが悪魔の教え。神世の教えは、良薬口に苦しじゃぞ。じゃが、後になればなるほどに溢れんばかりの喜びとなるのぞ。厳しきこと申すは人民のことまこと思うてのこと。人民、近目近欲で見るから分からぬゆえ、耳痛いこと申すと言うなれど、まこと親心分かりて下されよ。己見極められん、自制出来ぬ者は、九分九厘悪魔に支配されておること知りなされよ。くどう申すが悪自由悪平等ではならんのであるぞ。悪魔の世、人民、皆で手合わせて、終わりにいたすのじゃ。皆々喜ぶ神世となるぞ。真道あるのじゃぞ。うれしうれしたのしたのしかわるかわる、道開く。二〇一六年一月七日 大日月地大神御靈 繋がり顕れる。うるうおう神人。スサナル大神様の真 地球の皆々様を真、深ーーー愛していらっしゃる様が、、伝わってきますね。自由という名の元 好きたい放題してきた地球の皆々様 当然、その因果によって苦しむわけですから、改心して、これからは、愛と調和に根差した言の葉使って参りましょう。