カテゴリ:アート誌
表紙をめくるとすぐに、2001年の9月25日のニューヨークワールドトレードセンターの残骸の写真から始まる。そして、順に日付を追って、2002年の5月1日で終わっている。もちろん、掲載された写真のほかに、膨大な量の風景や人々の記録が写真として残り、また、今も復興が続いているには違いない。
でも、報復と言う名のイラク戦争が、彼らの傷を癒すことができているのだろうか。 菅啓次郎さんの「もしアメリカがなかったら、いまは」という記事と、養老孟司さんの「アメリカと日本人」と言う記事が間に掲載され、次のページからは、2005年の広島の記事が続く。 ニューヨークの写真も、広島の写真も、日本人の写真家が撮ったものではない。だから、なんだというわけではないが、日本人と違う視点から撮られているという感じはしない。 森達也さんの「無邪気な善意の恐ろしさ」という記事に、「アトミック・カフェ」を訪れた時のことが書かれていた。絆創膏を貼るだけで、放射線が防げると訓示した核実験。原爆の被害を過小する広報。アメリカの一般市民はいや軍人でさえも、原爆の本当の怖さを知らないと、森さんは言う。だからといって、森さんは、彼らを非難してはいない。戦争は、正義と無邪気な善意から起きるのだからと。 田口ランディさんが「象をなでるように」という記事でいう。「対話をめんどうだと思うなら、原爆はまたつかわれるだろう」と。 ・・・でも、北朝鮮は対話に応じてくれない。自分の主張を怒鳴り散らすだけ。それは、対話とは言わない。相手を納得させられるだけの、理論と物的証拠と、共感を必要とするのが対話なんじゃないのか。・・・反抗期の子供と対話するのも、根気がいるけれど(^^; 「極東ホテル」鷲尾和彦 かつて山谷と呼ばれた地区に建つ外国人旅行客専用の安ホテルのお客のポートレート。自由なんだろうか。「しばしば欧米人は日本のことを『ニッポン』や『ジャパン』ではなく、少しの偏見をも込めて、ただ単に『Far』(=遠くの)と呼ぶことがあるが、そんな『Far(遠くの国)』に何故彼らはわざわざやってくるのだろうか」そんな疑問を鷲尾さんは持ち、このホテルに滞在し、ポートレートを撮りつづけたのだという。 鷲尾さんがのぞいたカメラのファインダー。その残像でもある写真から、読者であるわたしは、何を受け取ったらよいのだろうか。異国を旅する人々の非日常に共感すること。あるいは、自国でおこなってきたであろう日常を想像してみる。そうした時点で、自分の中に物語を組み立て、自分自身が旅をしているつもりになる。そういうことなんだろうなと思う。 時間を旅する。自分を旅する。この雑誌のコンセプトは、そういうことなのだろうな。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2007年10月26日 10時26分45秒
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