クリント・イーストウッド監督「チェンジリング」を観たのだが…
絞りきれないテーマ、或いは散逸するテーマ。
極端な話、ワンシーンは面白いのに一本の映画としての柱が、強いて言えばアンジョリーナ・ジョリーのアップに終わった感。
ざらついた映像とジャズで始まる1920年代のアメリカの映画は何かを予感させたのだが、まぁ、裏切られたというのともちょっと違う、なんといえばよろしいか、出来上がっていない映画を観た感である。
昨日記したPhotoImpact X3とミニノート用のマウスを購入し、喫茶店に入り細君とこの映画に関して何か一言と思うものの、出来の悪い映画ではなく、出来ていない映画に関して語る言葉が見つからずに過ごして今に至るわけなのだが。
来週末は映画の日、「少年メリケンサック」と「ヘブンズドア」の掛け持ちの予感を達成したのち、映画を観る目がずれていないか、検証してこようと思う。
何故舌足らずになるかと云えば、クリント・イーストウッドがつまらない映画を撮る筈がないという固定観念によるのかもしれないのだが、細君と一致したのは、残念な映画であると云うこと。