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カテゴリ:海外小説感想
7/27(木)「いちばん頼りになるは、糞の臭いだった」 今日からまたセリーヌ『夜の果ての旅』を読み始めた。三度目の挑戦。今度こそは読破するつもりだ。漱石読みで、長編の読み方、構え方を掴めた気がする。中公文庫、生田耕作訳。長い道のりになりそうなので、その日読んだ分のことをいちいち記しておこうと思う。どこまで続くかはわからないけど。 上巻48ページまで読んだ。 友人との議論の最中に席を飛び出して志願兵の列に飛び込むバルダミュ、銃弾飛び交う戦場に平気で突っ立っている大佐、やがて吹っ飛ばされて死ぬ大佐、冒頭から怒濤のように展開する一連の場面は、もう何かの映画の一場面のように頭に染みついている。三回目ともなると当然か。 この大佐は、すると、人間じゃないんだ! もうまちがいない、犬より始末が悪いことに、奴には自分の死が想像できんのだ! 同時に僕にはわかった、僕らの軍隊にはこいつのような奴が、夕刊な連中が、おおぜいいるのにちがいない、そして、おむかいの軍隊にも、たぶん同じだけ。何人いるか誰にわかろう? 全部でおそらく、百万、二百万? たちまち、僕の恐怖は大恐慌にかわった。こんな奴らといっしょでは、この地獄のばか騒ぎは永久につづきかねない・・・・・・奴らがやめるわけがあろうか? 人間世界のやりきれなさをこれほど痛切に感じたのは初めてだった。 どうして二度も挫折したのだろうと考えた。ところどころ、というより、毎ページどこかに読みにくいところはある。訳のせいでもあり、原文も、決して綺麗な文章ではないのだろう。だけど今回はそれも、読みにくい訳文を自分なりに言葉を並べ替えたり、孫訳? したりして、読めるようになっている。翻訳への不満だけでは、挫折する理由にはならない。原因は内容にある。ということで、注意して読み進めていると、バルダミュが大佐の死後、中隊に合流した以降、上官の不条理な命令に振り回されながら、悪態をつきつつ彷徨い歩く場面で、原因の一端に突き当たった。バルダミュのモノローグが続く、それには面白いものも、退屈なものも含まれている。退屈なものが続くと、目で追うだけになり、頭の中に入らず、気が進まなくなる。良いものに突き当たると目が覚める。ヘンリー・ミラーの『北回帰線』でも同じようなことがあった。どうやら、惰性と眠気に襲われないように、小刻みに読むのが良さそうだ。 スペイン関連の本ばかり読んでいたから、どうしても舞台をスペインだと錯覚してしまいがち。舞台はフランス、第一次大戦中。 何本かの戦争映画の場面を思い起こしながら読んでいると、題名の特定出来ない映像が紛れ込んでくる。それはかつて映画で観たものではなくて、『夜の果ての旅』のこれからの場面だったかもしれない。 一日目だから量が多くなった。 分隊のいる部落を見つけるのに僕らは嗅覚の助けを借りるのだった。見捨てられた村々の戦場の暗闇の中で犬にかえって。いちばん頼りになるのは、糞の臭いだ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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