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2015.10.13
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カテゴリ:江戸珍臭奇譚 
島.jpg

糞汲み熊五郎に御赦免花が咲いたの巻

 地虫の熊五郎は遠い八丈島に流され、岩を噛む激しい波の怒涛を見て、とても、島破りなどできやしない。生涯この島で暮らし、ここで骨を埋めるのだと覚悟を決めていた。
 遠島とは無期懲役のようなもので、生涯その島から出ることはできない刑であった。決して軽い刑ではなかった。流刑地の八丈島へ送られると、地役人に引き渡される。牢などはなく、あとは勝手に生きてみろ、と放たれる。
 土地や家があるわけでもなく、漁をするにも、そんな技量も船も網もない。すぐに路頭に迷うのが関の山である。もともと食うや食わずの貧窮の島である。流人に仕事などあろうはずもなく、すぐに腹を空かせて、行き倒れになる。畢竟、島の百姓に頭を下げて、下働きをさせてもらって、凌ぐのがせいぜいだった。

 八丈島の罪人には政治犯の学者や武士、僧侶も多く、中には見届け物(仕送り)が届き、水汲み女に世話をさせて、家を借りて暮らしている者もいたが、それはほんの一部で、大抵の罪人は痩せ細り、海を眺めながら、死んでいくものが多かった。地虫の熊五郎も当初途方に暮れていたが、江戸から大層な身届け物が毎度の船で送られてきた。
 米、酒、佃煮、衣服、それに毎回十両の金子が包まれていた。包みには、「金」の字が書かれていた。遠山の金四郎が送っていたのである。その身届け物で、地虫の熊五郎は島の南にある海の見える民家を借りて住むことができた。

 お吉は深川で鬼瓦組の一味であった旗本の梶井直次郎という男の一物を切り落とし、「ちん切のお吉」という綽名がつき、江戸の人気者になったが、所詮は旗本を傷つけた罪人であり、これも遠山の裁定で、島送りになった。そのお吉という女を女房代わりにして、一緒に流されてきた五人の子分と一緒に民家で暮らすことになった。「ちん切のお吉」は武家の出で、字の読み書きができたので、身届け物が届くと、帰りの船で遠山影元に礼状と近況をしたためた。

 島の人間も流されてきた罪人も懸命に働いて、やっと暮らしが立っていたのが八丈島だった。小さな島の中で、自分たちだけが、ただ意味もなくぶらぶらしているのも飽き飽きしてきて、島の人間と顔を合わせるのも気が引けるようになり、何か島の役に立つことをしてみてえ、と思うようになってきていた。
 少しは、島のお役にたたなければ男が廃る、遠山様にも申し訳が立たない。地虫の熊五郎は島の村役人に相談した。
「何でもようござんす、水汲みでも、材木の切り出しでも、なにかあっしらにできることはねえですかい」
「何の技量ももっていない、あなたたちにできるのは、せいぜい厠の掃除と糞汲みぐらいのもんだね」
 名主の浅沼鮫衛門は冷たく言い放った。髭面の顔に刀傷のあるやくざ者とは関わりを持ちたくなかったのだ。だが、地虫の熊五郎は一度やるといったら、後には引けないやくざな性分である。
「わかりやした、島の糞汲みやらしていただきやす」
 翌日から地虫の熊五郎一家は島中を回り「糞汲みいたします!」と触れ回り、糞尿を汲み取り、百姓の糞溜にせっせと運んだ。無論のこと、報酬などは当てにしていない。
「親分、こんな離れ島で、一生糞汲みをして終わるんですかい、これじゃ地虫の親分が蛆虫の親分に成り下がっちまう」
「そうよ、人間食う物作る者がいりゃあ、出すもの片づける者も必要よ、百姓が糞の元を作り、俺たちはその糞を片づける。地虫でも蛆虫でもかまわねえ、まあ、獄門になった身だ、糞まみれもいいじゃねえか、ぶつぬつぬかすに糞汲めやい」
 熊五郎は平然として糞汲みの仕事に精を出した。島の人間は、やくざ紛いの熊五郎たちとは打ち解けず、
「どうせ、すぐに嫌になって投げ出すだろうよ」
 あてにもせず、勝手にやらせていたが、それが一年二年三年と、続くと、しだいに島の人間も打ち解けて、「ありがてえ、助かるよ」と、感謝の言葉もかけてもらえるようになり、百姓たちからは、麦や野菜、漁師からは魚を貰うようになっていた。
「下の世話して、感謝される、島の暮らしも悪かねえな」
 悪をどこかに忘れてきたような地虫の熊五郎一家の生活は糞まみれの中で、すっかり悪臭も身についてはいたが、平穏に続いていた。

 水無月(七月)江戸では鳥越神社のお祭りが行われている頃だった。八丈島でも御赦免花の赤い花が咲き、島はざわついた。もうすぐやってくる御赦免船で、誰が御赦免になって江戸へ帰れるのだろうかという噂で持ちきりになった。その御赦免船がきて、思いもよらぬことに、地虫の熊五郎一味とちん切のお吉、それに、毎年赦免状を書いていた蘭学者と、僧侶の一人が御赦免になり、流刑船に乗せられた。

(つづく)

作:朽木 一空
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最終更新日  2015.10.13 18:51:05
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