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カテゴリ:小説
そのころ親父は胃癌が再発して急遽入院し、再手術を受けていた。だが既に癌は体中に転移していて、どうにもならない状態だったのである。術後も毎日ベッドで苦しんでいた親父であったが、ぼくの都立高校合格の知らせにはニッコリと微笑んでいたと聞いた。 その合格の日から2日後のことである。入院先のJ病院から「親父が危篤」だという電話があったのだ。急いで店を閉め、母・ぼく・妹・弟の4人は、中央線に乗ってJ病院のあるお茶の水まで向かった。 電車が遅い、遅い、遅い、オレンヂ色の快速電車がこんなに遅いとは思わなかった。それでもなんとかお茶の水駅に到着すると、ぼくはホームを走り抜け、病院まで続く歩道を走りまくった。ぼくだけではない。ずっと後には、弟が妹がそして母が息を切らしながら必死の形相で走っている。 だがあれだけ一生懸命走ったのに、生きた親父には逢えなかった。そして母の号泣が病室中にこだまする。小さい弟や妹には優しかったが、いつもぼくにだけは厳しかった親父。その厳しさが余りにも悔しくて、「今に見ていろ、いつか必ず殴ってやる」とギラギラした復讐心を燃やした日もあったが、今はもう動かない物体になってしまった。 長男だった親父も祖父に厳しく育てられたという。きっと親父も悔しかったに違いない。だが祖父は親父が小学生の頃に早死にしてしまう。まだ子供だった親父は蕎麦屋に奉公に出され、僅かな給金は全額家族の元に仕送りしたと言う。そして二十歳の時に赤紙を受け取り、ラバウルへ出征し瀕死の状態で帰国し、そののち家族のために身を焦がして働き続けたのである。時代が異なるとは言え怠け者のぼくとは雲泥の違いだった……。 悲しいというより、なんだかもの凄く申し訳なく感じて、急に涙が溢れてきた。親父が死んだからといって、ぼくは決して親父のように母や妹弟のために自己犠牲は払わないだろう。だから当然のように高校へ行き、青春を謳歌するに違いない。 ただ家族に迷惑だけはかけないつもりでいる。だから決してグレないし大学にも行かないことにする。でも高卒で社会人になっても親父のように実家に仕送りしたり、妹弟の面倒を見たりもしないだろう。勝手かもしれないが、ぼくはぼくでありぼくの人生を歩みたい、ぼくは親父とは違うのだ!。 そんな繰り言が頭の中でグルグルと暴れ回ってしまう。こんなぼくは親不孝なのか、冷たい人間なのだろうか……。いつの間にか夕闇が窓辺に漂いはじめ、病室の中は家族全員の涙でぐしゃぐしゃに濡れてしまった。 (完) 作:五林寺隆 下記バナーをクリックすると、このブログのランキングが分かりますよ。またこのブログ記事が面白いと感じた方も、是非クリックお願い致します。 にほんブログ村 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2024.03.15 19:28:50
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