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テーマ:今日のこと★☆(104685)
カテゴリ:読書(フィクション)
気がつけば、今日は七夕。
ミサイルの話もいいが、こっちのお空のお話をしておかないと一日が終わったような気がしないので一言。 「銀河鉄道の夜」の冒頭場面である。 「ではみなさんは、そういうふうに川だと言われたり、乳の流れたあとだと言われたりしていた、このぼんやりと白いものがほんとうは何かご承知ですか」先生は、黒板につるした大きな黒い星座の図の、上から下へ白くけぶった銀河帯のようなところを指しながら、みんなに問いをかけました。 カムパネルラが手をあげました。それから四、五人手をあげました。ジョバンニも手をあげようとして、急いでそのままやめました。たしかにあれがみんな星だと、いつか雑誌で読んだのでしたが、このごろはジョバンニはまるで毎日教室でもねむく、本を読むひまも読む本もないので、なんだかどんなこともよくわからないという気持ちがするのでした。 ところが先生は早くもそれを見つけたのでした。 「ジョバンニさん。あなたはわかっているのでしょう」 ジョバンニは勢いよく立ちあがりましたが、立ってみるともうはっきりとそれを答えることができないのでした。ザネリが前の席からふりかえって、ジョバンニを見てくすっとわらいました。ジョバンニはもうどぎまぎしてまっ赤になってしまいました。先生がまた言いました。 「大きな望遠鏡で銀河をよっく調べると銀河はだいたい何でしょう」 やっぱり星だとジョバンニは思いましたが、こんどもすぐに答えることができませんでした。 先生はしばらく困ったようすでしたが、眼をカムパネルラの方へ向けて、 「ではカムパネルラさん」と名指しました。 するとあんなに元気に手をあげたカムパネルラが、やはりもじもじ立ち上がったままやはり答えができませんでした。 むかしは、普通に読んでいたこの冒頭場面、今は涙で文字が霞んでしまう。お父さんの仕送りはとっくの昔に途切れている。ジョバンニは思いつめた様にアルバイトしている。だから眠くて、うっかりしていて、本当は答えることができるのにできなかったのだ。これはつらい。よくある経験だけど、本人はつらい。生活も苦しいけど、「本当はお父さんは監獄に入っているのではないか……」こっちの心配のほうが実は大きかったりする。未来が見えないジョバンニが可哀そうでならない。そして、カムパネルラの優しさ。 角川文庫版では、最終近くに「ブルカニロ博士編」が載っている。賢治は後の推敲でこの挿話を削ってしまう。説教臭いと感じたのだろうか。それとも削ることが賢治の「決意」の表れだったのだろうか。 ジョバンニは、はっと思って涙をはらってそっちをふり向きました、さっきまでカムパネルラのすわっていた席に黒い大きな帽子をかぶった青白い顔のやせた大人が、やさしくわらって大きな一冊の本をもっていました。 「おまえのともだちがどこかへ行ったのだろう。あのひとはね、ほんとうにこんや遠くへ行ったのだ。おまえはもうカムパネルラをさがしてもむだだ」 「ああ、どうしてなんですか。ぼくはカムパネルラといっしょにまっすぐに行こうと言ったんです」 「ああ、そうだ。みんながそう考える。けれどもいっしょに行けない。そしてみんながカムパネルラだ。おまえがあうどんなひとでも、みんな何べんもおまえといっしょに苹果をたべたり汽車に乗ったりしたのだ。だからやっぱりおまえはさっき考えたように、あらゆるひとのいちばんの幸福をさがし、みんなといっしょに早くそこに行くがいい、そこでばかりおまえはほんとうにカムパネルラといつまでもいっしょに行けるのだ」 「ああぼくはきっとそうします。ぼくはどうしてそれをもとめたらいいでしょう」 「ああわたくしもそれをもとめている。おまえはおまえの切符をしっかりもっておいで。そして一しんに勉強しなけぁいけない。おまえは化学をならったろう、水は酸素と水素からできているということを知っている。いまはたれだってそれを疑やしない。実験してみるとほんとうにそうなんだから。けれども昔はそれを水銀と塩でできていると言ったり、水銀と硫黄でできていると言ったりいろいろ議論したのだ。みんながめいめいじぶんの神さまがほんとうの神さまだというだろう、けれどもお互いほかの神さまを信ずる人たちのしたことでも涙がこぼれるだろう。それからぼくたちの心がいいとかわるいとか議論するだろう。そして勝負がつかないだろう。けれども、もしおまえがほんとうに勉強して実験でちゃんとほんとうの考えと、うその考えとを分けてしまえば、その実験の方法さえきまれば、もう信仰も化学と同じようになる。 (略) 「さあいいか。だからおまえの実験は、このきれぎれの考えのはじめから終わりすべてにわたるようでなければいけない。それがむずかしいことなのだ。けれども、もちろんそのときだけのでもいいのだ。ああごらん、あすこにプレシオスが見える。おまえはあのプレシオスの鎖を解かなければならない」 そのときまっくらな地平線の向こうから青じろいのろしが、まるでひるまのようにうちあげられ、汽車の中はすっかり明るくなりました。そしてのろしは高くそらにかかって光りつづけました。 「ああマジェランの星雲だ。さあもうきっと僕は僕のために、僕のお母さんのために、カムパネルラのために、みんなのために、ほんとうのほんとうの幸福をさがすぞ」 ジョバンニは唇を噛んで、そのマジェランの星雲をのぞんで立ちました。そのいちばん幸福なそのひとのために! 「さあ、切符をしっかり持っておいで。お前はもう夢の鉄道の中でなしにほんとうの世界の火やはげしい波の中を大股にまっすぐに歩いて行かなければいけない。天の川のなかでたった一つの、ほんとうのその切符を決しておまえはなくしてはいけない」 あのセロのような声がしたと思うとジョバンニは、あの天の川がもうまるで遠く遠くなって風が吹き自分はまっすぐに草の丘に立っているのを見、また遠くからあのブルカニロ博士の足おとのしずかに近づいて来るのをききました。 「ありがとう。私はたいへんいい実験をした。私はこんなしずかな場所で遠くから私の考えを人に伝える実験をしたいとさっき考えていた。お前の言った語はみんな私の手帳にとってある。さあ帰っておやすみ。お前は夢の中で決心したとおりまっすぐに進んで行くがいい。そしてこれからなんでもいつでも私のとこへ相談においでなさい」 「僕きっとまっすぐに進みます。きっとほんとうの幸福を求めます」ジョバンニは力強く言いました。 今よく読めば、この「セロのような声」をした人の言い分は、なんだかあらかじめ結論をもっている説教臭い大人のようにみえる。ジョバンニの旅も結局ブルカニロ博士の「実験」だったのかよ、と言うような批判も聞こえてきそうだ。賢治が削った理由も分かるような気がする。けれども、それでも私はこの挿話が好きなのだ。小学校のとき、一番最初に読んだ本にこの挿話が載っていたから、だけではないような気がする。夢から醒める前、心配事を抱えていた場合、全て夢の中では分かったような気になることが無いだろうか。素晴らしいことを発見した、何もかもこれで解決した、そう思って眼をが醒めて、もう一回思い返そうとするのだけど、どうしても思い出せない。そんな経験は無いだろうか。プレシオスの鎖を解くために、マゼェラン星雲に立ち向かっている自分をかっこいいーと思った瞬間に目が醒めたりしないだろうか。私にはある。 そして、最愛の妹としこが死んだ後、そんなふうにして花巻の旧屋で目覚めたあとにしばらくぼおっとしている賢治の姿が、私には見える。(「ぼくはとし子といっしょにまっすぐに行こうと言ったんです」「ああ、そうだ。みんながそう考える。けれどもいっしょに行けない。そしてみんながとし子だ。」)「きっと本当の幸福を求めます」と決心したその自分の声の響きだけを追い求めて、やがて家を出て「野原ノ林ノ影ノ小サナカヤブキ小屋ニ」住む様になる賢治の姿が見える。そんなきれい事を言って、親の金で家を建て清貧生活を送る、弱くて強い賢治が見える。そして、限りなく愛しい。 銀河鉄道の夜は「星祭」の夜の出来事であった。織姫、彦星だけではなくて、ジョバンニとカムパネルラの最後の旅が、今夜の厚い雲の上で再現されているのかもしれない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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