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カテゴリ:加藤周一
加藤周一自選集(1(1937ー1954)) 自選集1より私が自ら選んで(^^;)いくつかをコメントしたい。なお、この自選集「木下杢太郎の方法」に加藤周一は「このような歴史的人物(木下杢太郎のこと)を称ぶには敬称を省くのが敬意を表する所以だと思うから、旧師の一人を称ぶに私は敬称を省く」と書いている。それに習い、私も加藤周一を語るにこれからは敬称を省きたいと思う。 1938年(昭和13年)旧制一高時代文芸部の雑誌「校友会雑誌」に加藤は三篇小説を寄稿しているらしいが、その一篇が「正月」である。 高校生になった「私」が小学時代から親しくしている恩師を訪ねる、という内容の小編である。この恩師「秋元先生」は「羊の歌」に描かれる小学四年のときの担任「松本先生」に違いない、と解説の鷲巣氏は言う。「よく事実を見なければならない」ことを生徒に教え、加藤氏はその人柄を好み、その知識を敬っていた。 学校のこと等を少し話したあとで、私は想出した様に最近大学を辞職された某教授のことに触れた。すると先生は、国の方針と意見がちがえば仕方がない、という意味のことを簡単に言われた。それは、現在、この国の社会的傾向に対する種々の立場の問題を含んでいるはずであった。のみならず教育と云う点にあらわれたそれ等の立場の問題として、必然的に私たちの関心を要求するはずであった。―すくなくとも、仕方ないと云う答以上のものを望んでいた私は肩透かしを喰わせられた様な気分を味わった。 感じたことは二つ。ひとつは、この「最近大学を辞職された某教授」は東京大学教授矢内原忠雄氏(親友矢内原伊作の父)の1937年12月の辞職を示しているのに間違いない。だから次の年の正月の話題としてはまったく普通であった。しかし、いかに高校生の書く小説といえども、非常に大胆だとは思う。あきらかに「私」は某教授の辞職に批判的である。そういう小説を発表し、当局が目をつければ学生加藤周一にはいろいろと不便なことがおきるだろう。小説はそういうこともある程度覚悟した上で書かれている「落ち着き」があった。そこに居るのは、18歳にしてすでに自立した一個の社会的な青年の姿である。ひとつは、自分の成長と、社会の矛盾、そしてそのバランスをすでに客観的に書くことが出来るところまで成長している、早熟な文学青年だという点である。この小説は掌編ということもあったが、まとまっていて、読み応えがあった。(私には漱石の影響を感じたが、確信はない) このときの社会状況と、青年(少年?)加藤周一の思想変遷はもう少し綿密に研究する必要があるのかもしれないが、今はその余裕がない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2009年11月15日 22時54分38秒
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