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カテゴリ:加藤周一
加藤周一の『三題噺』(ちくま文庫)を買った。
加藤周一自選集3にすでに三つの噺のうち二つは載っているし、「加藤周一の書いた加藤周一」に一つの作品だともいえる「あとがき」の収録されているので、いまさらという感も無きにあらずだったが、ひとつの単行本として読むことで「映画館で映画を見るような」ライブ感を味わえた。まあ、趣味の世界ですね。 この本は、石川丈山、一休、富永仲基という三つの人生を「小説」として描くことで「日常的」「官能的」「知的」の徹底した三つの人生を描こうという試みである。加藤周一自ら言うように3人を「ありえたかもしれない三つの可能性」として描いたものである。「逃げ得なかった私の望みは三つあり、三つしかなかった。そして私は旅の空の下でたまたまその望みを託して語るに足る三人の事物に出会った。」(「あとがき」)私は三つしかなかった、とは思えない。しかしそれはまた別のところで。 発見はいくつか。「解説」で鷲津さんは石川丈山を描いた「詩仙堂詩」の文体について、加藤が詩仙堂でたまたま出会った老人と「対話」するという形式で進むことに注目してこう言う。「亡霊が老人として登場し、対話を交わすという趣向は一体どこからヒントを得たものだろうか。一つの可能性は能楽だろう。能楽には亡霊が登場する作品が数多くあるが、加藤は能楽に学生時代から親しんでいた。」もう一つは芥川の影響か、と書いているが、私は1番目のほうだと思う。 能楽はたしかにそのような構成で話が進むことがおおい。つまり「夢幻能」。亡霊や神仙、鬼といった超自然的な存在が主役(シテ)であり、常に生身の人間である脇役(ワキ)が彼らの話を聞き出すという構造。そこから豊かな世界が広がるのである。そして今回加藤の遺言ともいえる映画の題名は「しかしそれだけではない。加藤周一幽霊と語る」であった。私はまだこのドキュメントを見ていないが、幽霊とは、ひとつは加藤の友人で戦火に消えた中西であることは間違いないだろう。加藤は常々、友人が果たせなかったこと、友人が許さなかったであろうことを自分はしたくない、と語っていた。加藤が一貫して戦争反対を「アプリオリ」に貫いてきたのは、この経験からであった。加藤の長期エッセイ「夕陽妄語」にも、老人や高校生がよく出て来る。もしかしたらあの高校生は前私が言っていた加藤の息子ではなくて、中西だったのかもしれない。そんなことも思ったのでした。幽霊と語っていた加藤周一が、今現在では幽霊の位置にある、それだけでも非常に魅力的な映画ではある。岡山で上映してくれないのだろうか。 自選集3に載っていない「仲基後語」に丈山、一休、仲基の三人のまとめみたいなものが書かれている。 加藤の分身ともいえる記者は「繰り返すことの出来るのは言葉だけだ」という仲基の言葉を受けて「言葉だけが偶然に抵抗することが出来るということでしょう。一回限りの経験のなかにもし永遠を見ることが出来なければ、永遠というものは無いでしょうね。一休宗純はそれを感覚的な情愛の世界に見たのでしょう。石川丈山はそれを日常生活の末端に見たのでしょう。」という。それに対し、仲基に「しかし反応は次第に鈍くなる」ので感覚的なものが永遠の意味を持つのだろうか、と反論させている。加藤は言う。「感覚的な反応が次第に弱くなっても、その反応が人生に持つ意味は変わらない」。すると仲基は「(私に)もし倦きない生活がありうるとすれば、それは考える生活だけだ」と言わせている。 加藤にとっての「一回限りの経験」はもちろんひとつには「戦争」であったろう。しかし、65年に書かれたこのとき、二度目の離婚と、矢島との新しい恋が影響しているのではないかという気がしてならない。 別のところで、加藤は文学と科学の違いを「反復できるもの」と「一回限りの経験」だと書いている。(「文学の擁護」)加藤が文学を擁護するのは、知的な加藤が一回限りの経験である「情愛」「日常」「思考」を大切に思っているからに他ならない。それは私たちにとってもやはり同じなのだろうと思う。 ―いや、まったく怪物ですよ。 ―何が? ―あなたがですよ、すべて純粋なるものは怪物です。 加藤は仲基に対して言う。 私たちは加藤に対して言うだろう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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