|
カテゴリ:加藤周一
昨晩、テレビで池上彰の「戦後70年をキーワードでとく」(題名うろ覚え)というたぐいの番組をしていた。昨日の池上彰繋がりでつい見てしまった。 その中のキーワードの一つ、「学生運動」「1968年のころ、なぜ若者はあんなに怒っていたのか?」という流れの解説があった。 日大闘争、東大闘争などを簡単に解説したあと、コメンテイターたちが感想を言い合っていたが、言っていること自体はあまり間違っていないと思った。 室井佑月「(ホステスとして)飲みにきた人に聞くと、『よくよく考えると女にもてたかったから』と言っていた(笑)」 池上彰「世の中が豊かになった。格差を変えたかった。当時の学生は、エリート意識があった。世の中をよくしたいんだ。でも客観的には独りよがり。」 当時学生だったおじさんたちの言葉「模索することが、エネルギーだった」「社会にたいする怒りを出すことに誇りを持っていた」「当時の学生はよく議論していた」「思想からはいった」 番組の基調はひとえに「現代の若者にはとても見られないことだよね」ということのみだった。 アジ演説があった。「学生さんたちがんばれ」という空気もあった。 1968年新宿騒乱。駅周辺に集まる二万人の写真。これが最近の国会前の原発集会のような写真になっていた。しかし、おそらく1968年の方が若者密度が高い。 若者はどこに行ったのか。単に集会に誘われただけの若者は「いちご白書」の世界に移った。就職活動。「もう若くないさ、と髪を切ってきたよね」 そして「たった一つの事件で熱が冷めた。」浅間山荘事件。それに続く内ゲバの悲惨さ。あれで皆が「引いた」。と池上彰は解説する。事実としてはその通り。しかし、政府とメディアがそれを後押ししたことには触れない。 番組は「若者の怒り」は「世相」であったというまとめに終始していたと思う。 伊集院光「いま無関心が多い。中間がいい」 室井佑月「みんな世界の平和願っているのに」 というコメントもあったが、そこは全然深められない。私は池上彰の番組は、結果的には現状追認の保守を助ける番組だと思う。しかし「学生運動は怖いから関わるな」という昔の意見を少しづつ変えていく力には、なったとは思う。 原発問題、戦争立法問題、貧困格差問題。産学協同問題。1968年当時の問題はさらに深くなって我々の目の前にある。それを打開する道はどこにるのだろうか。 そのヒントはやはり加藤周一にあると私は思う。 『テロリズムと日常性』(加藤周一 凡人会 青木書店)のなかで加藤周一は次のようなことも言っている。 加藤周一は「日本の学生運動は生き甲斐主義で、権力に対する反発に終始してしまった」と総括する。 加藤は現状打開の可能性をひとつの「行動」の中に見る。 『小さなグループがいくつか連携して、具体的な問題をひとつ解決する。そういう流れをだんだん広めていって、地方行政を動かすような規模になって、ある程度社会的な力を持つ…ということがあり得るんじゃないか。』 大きな目的を掲げるのではなく、まずは行動しようといっているのだ。それは世界の戦後(フランスの五月革命、チェコスロヴァキアの『プラハの春』、アメリカの黒人運動)を見ていていた加藤が提言する「世界の教訓」である。 と、同時に「部分から全体へ」という日本的文化の特徴を活かした、「日本らしい」運動の仕方でもある。 9条の会は、そういう運動の一つとして有効だろう。ただ、それに固まってはいけない。と私は思う。 私が事務局をしている「平和委員会」の活動も、そういう運動の一つだろう。労組の活動もそういう運動の一つだろう。原発反対の金曜日行動もそういう運動の一つだろう。 このような運動に、若者も参加して欲しい。一部では動きが出ている。一部だけだが。 これらの運動が 「ひとつの課題を解決する」ようになることが重要なのである。 原発稼働を阻止しているのはその一つの現れだろう。 →「自治体に影響を及ぼすようになる」 そういう段階はまだかもしれない。 いま世の中は全体として、危機的状況にはあるが、まだ綱引きの状況にあると私は思う。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2015年03月31日 12時30分00秒
コメント(0) | コメントを書く
[加藤周一] カテゴリの最新記事
|
|