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テーマ:古代のロマンを求めて(40)
カテゴリ:考古学
26日(土曜)、NHKEテレにて「誕生 大和王権」が放映された。弥生時代から古墳時代にかけての、一般視聴者には目新しい情報がわかりやすく解説された。それを私の責任に於いてメモした。MCは松木武彦歴博教授。
・箸墓古墳は、炭素14年代法によって(240-260)の間に限定された。 ・ミューオン(宇宙線)を使っての箸墓古墳へのレントゲンを試みている。まだその途中らしい。(←てっきりもう済んでいるのだとばっかり思っていた) 箸墓古墳葬られた人は? (1)卑弥呼? (松木武彦も此方をとっているらしい) (2)大和王権初期の大王(崇神?)の2通りがある。 ヤマト王権とは? 日本最初の中央政府である‥‥現在日本政府の直接の原型であり、とても重要だ。3-4世紀成立。葺石(出雲)・特殊器台(吉備)・鏡(北九州)・積み石(香川)などの特徴があり、統合国家の成り立ちを示している。 この古墳の在り方自体が何を証明するか? 「地域同士が武力統一戦争なしの国家形成をした」(松木武彦) 「この成り立ち自体が、今の日本社会の在り方に大きな影響を与えている」 (楯築墳丘墓の祭祀予想図) どのようにできたか? 「北部九州、吉備・瀬戸内海の東部・」「吉備・畿内」「伊都国中心」「河内・東海」等々いろいろ諸説ある。 (纏向遺跡の想像図) 何故突如、できたか? 出雲は?見せる古墳をつくった。 糸島 いとこく 平原王墓形は小さくなったが、出土遺物はすごい。鏡40枚。アマテラス信仰 吉備 楯築墳丘墓 箸墓土器は吉備の土? 箸墓前夜に何が起きたか? 倭国乱が起きた。 しかし戦争の証拠はほとんど見つかっていない。 乱れていたのは、気候変動なのではないか? 弥生末期は、大雨の未曾有の混乱があった? 災害の影響を受けにくかったのがヤマトなのでは? 洪水が受けにくく、列島各地から川から行きやすい。だから拠点を纏向遺跡にした? 3世紀前半の王宮が発見された。 「箸墓古墳は最初の大きなメディア。亡き王を神々の世界に返す、そして我々を見守ってくれる。そういう儀式をした。最初の国家的儀式の始まりなのでは?国ができるときのポイントになったのでは?」(松木)200年後に大山古墳。その形はずっと続いた。 会津 杵が森古墳(前方後円墳)が箸墓古墳の1/6で、箸墓から間もない頃作られた。同じ設計図で作られた。 他に同じ設計図の古墳はどのくらいあるのか? 吉備 しじかいさんのうじ古墳 浦間茶臼山古墳1/2 数年以内に22基の同じ設計図古墳ができた。連合の証として、古墳を作らせたのか。首長は参加に入ることで、ギブアンドテイクがあった。 ヤマトはモデルチェンジしながら、その設計図を渡した。 網野銚子山古墳 雷神山古墳 宝来山古墳 等々が相似形 前方後円墳 全国で約400基 古墳作りに必要な土木技術 測量・築堤技術で稲作は進んだ。平和と豊かさ 古代の民の叡智は箸墓から始まったのでは? お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2021年03月28日 18時31分50秒
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