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カテゴリ:読書フィクション(12~)
「縄文里山づくり 御所野遺跡の縄文体験」御所野縄文博物館編 新泉社
82ページに「御所野縄文里山カレンダー」が載っている。春夏秋冬の生活サイクルを図化したもので、考古学の読本にはよく掲載される。しかし、今まで見た中で、1番豊かな情報が載っていた。理由がある。 縄文御所野遺跡は岩手県二戸郡一戸町にあり、7.7haの台地から丘陵まで含め、博物館を構えた縄文公園になっている。青森県三内丸山よりも規模は小さいけれども、非常に密度の濃い情報発信をしていて、とても感心した。 御所野縄文里山カレンダーは、御所野遺跡がこれまで果たしてきた「実験考古学」の成果である。木を育て、住居をつくり、縄をつくり、薪を用意し、土器を作成し、木の実を採り、トチノキの実や栗の実を加工し、ウルシを使い、カゴを編んでゆく。 その中で、「あ、こんな工夫をしていたんだ」という私の初めて聴く「発見」が、山のように記されていた。 例えば、雪深い東北では、深く掘り込んだ土付き屋根の竪穴式住居になる。それは知っている。しかし、雪解け時に屋根土が窪みになって、そこから腐ってゆくのを防ぐために、春先に土屋根の叩き締めが必要だということは、初めて知った。 例えば、トチノキの実やクリの実は、そのままではすぐ食べれなくなるので、採取すると直ぐに粉状に加工しなくてはならない。それらは、村の総出の労働力が要ったろう。その他、村総出の労働力は意外に多いということに初めて気がついた。 一般的に、稲作文化が人々の階層化を進ませたと教科書は言う。しかし、一万年もの間、縄文時代に人々は協力しながら村を運営した。リーダーはいたにしても、何故、階層化が進み、国が出来、戦争が始まらなかったのか?私は新たな疑問が湧いてきた。実の粉では、財産の余力など作れなかったからか?それだけなのか?一千年余の弥生時代の間に始まったと言われる「戦争」が、実は最大の戦争(倭国大乱)が「話し合い」で終わったのは、縄文時代の教えがあったからなのではないか?古墳時代、大陸から悪しき思想が、その教えさえも侵食したのではないか? ‥‥などと、私はいろいろと妄想した。 以下純粋マイメモ。 ・木を伐採すると、新たに出る萌芽を利用して、縄文人は自分たちに必要な木を選んで育てた。 ・縄文時代は建築資材としてクリにこだわっていたが、古墳時代以降はヤチダナ、コナラ、サクラになってゆき、やがて90%コナラになる。 ・クリが石斧での伐採に適していた。春では直径20センチは5-6分で切れた。 ・直径5mの竪穴式を建てる場合には、直径20センチ、長さ15メートルの木が30本ほど必要。 ・伐採木は直ぐに樹皮をはぐ。虫が入り、なかから腐食するから。伐採は新陳代謝を繰り返す春から夏がいい。伐採後はそのまま乾燥させるか、捩れや割れを防ぐために水につけて陰干しする。 ・土屋根の腐食を防ぐために、冬は雪下ろし、春は叩き締めをする。堰板は下を焼いて腐食を防ぐ。 ・ひとつの竪穴住居にひと束100メートルの縄が14束必要だった。 ・縄は鳥浜貝塚や忍路土場遺跡からも出土するシナノキを使った。樹齢20-25年を使う。 ・木から樹皮を剥がしたあとに、外皮から内皮を剥がす。1-2か月水(流水でなく澱んだ水)につける。そのあと内皮を剥ぎ取り、岩盤の上で清流で水洗い、滑りが取れたら繊維を細かく割いて、3-5日乾かします。 ・薪はカラマツとクリ、コナラ。順に燃焼が高い。しかし、長時間保つのはその反対。灰を確保するには、春から秋にかけてコナラを燃やすのがいい。弾けないということでも、基本的にコナラが薪の材として優秀。 ・トチノキの実が8割で圧倒的。次にクリ、そしてオニぐるみが少し。 ・トチノキの実は、収穫したらそのまま広げて乾燥。そのあと、外側の硬い皮を剥くために一度茹でる。柔らかくなった皮を剥き、剥いた実に灰をまぶし、水を入れて一晩そのまま。黄色の上澄みを捨て、また水を、入れる。ニー三日繰り返し、灰を洗い流す。実を弱火で焦げないよう程度にゆっくりかき混ぜる。出てきたアクを捨てながら、溶けてペースト状になるまで煮る。最後に袋に入れて水を搾る。1週間広げて乾燥。粉にして保存。 ・スズタケを竹のように加工してカゴを編む。 ・サルナシの枝でカゴを編む。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2021年12月31日 21時09分20秒
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