【富士は不二】
昨年富士山に登頂してから「富士山」にとても御縁があり、磐長姫、木花咲耶姫からのメッセージが降りてきます。以前もブログに書きましたが、「富士は不二」なんですね。https://plaza.rakuten.co.jp/leirutan/diary/202308010000/【富士登山・3〜木花咲耶姫と磐長姫】(2022年 新倉山浅間神社)以前のブログより↓……………………富士山のその姿は外から眺めると、日本一、いえ世界一美しく、まさに木花咲耶姫そのもの。ですが登ってみると岩だらけ…これは磐長姫。外からは見にくい。わからない。古事記などで磐長姫が「醜い」と記されているのは、本当は「見にくい」「見えにくい」という意味だと思うのです。ここのところは皆々様、よーく理解してほしいのです。長い長い間、誤解されて来た磐長姫様の思い、苦しみ、悲しみ、悔しさ……。「私なんかどうせ…」それが皆さんの集合的無意識、潜在意識と通じている。ここを解放しなければいけません。また木花咲耶姫様も辛かったと思うのです。本当はそうではないのに、隠されてきた真実を知らずにいた私達に、たいせつな姉が誤解をされてきたこと。悲しみと、そして大きな罪悪感。本当のことを知るときが来ました。本当に大切なことは目に見えない。本当のことを知ることは、統合に繋がります。そう、やはり木花咲耶姫と磐長姫は一つなのです。美しい姫(木花咲耶姫)は、実は見にくい姫(磐長姫)と同一である。だから富士山=不二山「二つではない」=「ひとつ」と呼ばれるのではないでしょうか。木花咲耶姫=見える世界(顕在意識)磐長姫=見にくい世界(潜在意識)富士山そのものが、【統合】を意味しているのです。顕在意識と潜在意識は分離してない、同じ存在なのです。(〜転載ここまで〜)(2023年 富士山頂上 浅間大社奥宮)………………………上記の文では「潜在意識」と「顕在意識」について書きましたが、今回はもっとシンプルなメッセージが来ています。サロンを閉めたとはいえ、お仕事柄、時折ご病氣の方、またはそのご家族の方からお話を伺うことがあります。今回強くメッセージを感じることは、「どちらも大事」。とてもシンプルに「見えることも見えないこともどちらも大事」ということです。現代の西洋医学では、とかく「数値」によって診断されることが大変多いです。ほんの1つでもその範疇から上がれば、(又は下がれば)何らかの「病氣」とされる。「見えること」に囚われすぎてはいないでしょうか?「見えること」が「数値」または身体そのものに見える症状だとしたら、「見えないこと」は「心」「意識」だと思うのです。「見えること」ばかりに囚われず、「見えないこと」、思いや意識を感じてみてほしいのです。 ここでも、「あなたはどうしたいの?」「あなたはどう在りたいの?」といった「自分軸」が重要となります。(2024年 無戸室浅間神社「胎内神社」)木花咲耶姫も磐長姫もどちらも同じように大事。潜在意識と顕在意識、どちらも同じように大事。見えるものも見えないものも、どちらも同じように大事。これらをしっかり受け止めたうえで、そのバランスは自分軸で決めること。私達は宇宙から降りてきたけれど、魂は決めていたけれど、「自由意思」を持っています。肉体を持つことは、3次元の醍醐味(笑)味わい尽くしましょう❗ありがとうございました。*〜関連記事〜*・「富士満喫の旅・3」(2024/4/27)https://plaza.rakuten.co.jp/leirutan/diary/202308010000/【富士登山・3〜木花咲耶姫と磐長姫】