|
(2)水屋建築 輪中景観を代表するものとしては、先ほど述べた堀田以外では、この水屋建築が有名です。 現在、堀田は完全に消失し見ることが出来ませんが、水屋建築は今なお各地に点在しています。 一般の方の住居のため中に立ち入ることはできませんが、どうしても中が気になるという方は、「輪中生活館」という単語を検索してみてください。 輪中生活館は当時の住居そのもの(旧名和邸)を資料館として開放した施設で、輪中館のすぐ近くに位置しています。 もちろん、輪中館にも当時の住居(再現版)がございます。 内部の様子が細かく表現されているので、一見の価値あり。 下はその写真です。
さて、水屋とは、母屋(=本来の住居)とは別の地盤の高いところに建てられる棟で、洪水の時の避難場所や、米や生活必需品を備蓄する倉庫としての役割を担っています。 輪中地域では母屋自体が石垣の上など高いところに建築されることも多かったようですが、洪水時の水位がそれを上回るとまた石垣を設け、より高い位置に水屋を建築していったようです。 この地域を歩くと敷地内の高低差が激しい住居が見受けられますが、そういった家はおそらく古くからある家で、先祖代々水害と戦ってきたのだと推察できます。 また、水屋は、利用目的、構造、資材などからいくつかに分類できるとのことですが、そのあたりの詳しい内容については、学習プリントをご参照ください。
(3)治水工事 写真は、かつての治水工事の様子を写しています。
木曽三川の治水工事は、豊臣秀吉の時代に木曽川の堤防が作られたことが始まりといわれています。 明治時代にデレーケらオランダ技師団が来日するまでは河川改修の技術が確立されておらず、当時の治水工事は非常に難易度が高いものでした。 さらに、「堤防を築く」ことには軍略上の事情や輪中間の対立が絡むなどし、工事の遅延や難航に拍車をかけることもありました。 たとえば、徳川幕府が創設した尾張藩は木曽川右岸に位置していましたが、対岸の美濃側の堤防を尾張側より3尺(=約90cm)低く築造するよう命じたのです。 このため、木曽川破堤の9割以上が美濃側に集中し、計画の中断や変更を余儀なくされました。 また、輪中が密集すると遊水池が減少し、それ以外の地域もしくは相対的に低い輪中が洪水に遭うリスクが高まるため、輪中の人々は新たな輪中の建設には強く反対したそうです。(松枝輪中の例が有名) 下の写真は、そんな輪中形成の歴史を年表にしたものです。
個人的には、「輪中」に関する歴史の中では、当時の人々の利害や思惑が入り乱れる部分に一番見応えを感じます。 輪中館では、ヨハネス・デレーケをはじめ、平田靭負と薩摩義士、金森吉次郎ら治水事業に尽力した人々の足跡も学習することが出来ます。 この機会にぜひ、彼らが織りなすドラマに触れてみてはいかがでしょうか。
さて、写真をもとに輪中館について少しばかり紹介させていただきましたが、輪中の歴史を掘り下げていくと、まだまだたくさんの「なるほど!」が出てきます。 ぜひ足を運んで、館内を隅々まで歩いてみてください。 さらに、輪中間には充実した資料だけではなく、とても博識で話し上手な館長さんもいらっしゃるので、ガイドをお願いしてみましょう。(私は感銘を受けました。) 輪中文化が西濃地域にとどまらず、岐阜県全域の、日常のさまざまな部分に影響を与えていることを教えてくださいます。 郷土についてさらに知識を深めたい方、夏休みの研究課題に悩んでいる方、ぜひ一度、ご来館ください。
なお、すでに少し触れましたが、輪中館の近くには輪中生活館(写真参照)という施設もございます。 こちらは実際の水屋建築を公開したもので、輪中館を補完する施設となっています。 外部から講師を招き、定期的に水まんじゅうづくり、箱ずしづくり、俳句大会なども行っているそうなので、ぜひご参加ください!!(詳細は、ホームページ等によりご確認ください)
<輪中館> 岐阜県大垣市入方2丁目1611番地1 0584-89-9292 休館日:毎火曜日、祝日の翌日、年末年始
<輪中生活館> 岐阜県大垣市入方2丁目1723番地 0584-89-6787 開館日:土曜日、日曜日、祝日のみ ※平日開館は応相談 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
December 3, 2014 11:32:49 AM
[県庁とっておき情報(イベント・施設・研修)] カテゴリの最新記事
|