|
カテゴリ:早期教育について思うこと
フラッシュカードについて考える・・・つづき。
分かっちゃったこと。まとめてみます。 1. フラッシュカードの情報量は、ホンモノと比べたら圧倒的に少ない。 私の頭の中の「牛」のデータ量からみたら、フラッシュカードの「牛」は・・・比べようがないくらい違います。 もちろん、酪農に従事している(つまり牛のプロ?)人間と、牛と何も関係しない赤ちゃんと比べること自体違うことは承知の上。赤ちゃんに牛の乳量や病歴をおしえてもなんも意味ないけど、せめて、牛の大きさやおおらかさ。反芻してる時の顔や好奇心旺盛なところや臆病なとこ。温かさやにおい。こういった全体の雰囲気をすべてひっくるめて感じて、初めて、「牛」というものを「知っている」と、思ってほしい。 POIという考え方があるのも知っていますが、 1.牛は牛乳を出す。 2.草を食べる。 3. 人間に飼われる家畜である。 ・・・・・ なんてことを永遠に並べ立てて教えたところで、実際に触れ合った時に得られる情報量とは格段に量、質ともに違いすぎるぐらい違う。 春の暖かい、気持ちいい風の中で、ごきげんな状態でお散歩をしているさなか、花壇にきれいな花がきれいに並んで風になびいているのを発見した時に、にこにこと楽しそうなお母さんが、 「わ~~~!きれいなチューリップがいっぱい!赤や黄色や白や・・・もう、春だね~~春は花がたくさん咲くね。いい匂いするかな?あれ、あっちはパンジーだよ。これはマリーゴールド。あら、ハチが飛んできた。蜜集めてるのかな?見てみて、アリも行列してる!」 そして、観察するのに十分な時間を与えられた赤ちゃんは、たくさんの知識を、本当の知識を、暖かい空気やにおい、穏やかな雰囲気とお母さんとの楽しい思い出とともに記憶することが出来るはずです。 2. フラッシュカードは、与えられた知識にすぎない。 前回書いた、牛についての数々のデータは、他人に与えられたものではない、ということ。 自分で毎朝毎晩牛に触れ、長い間に自分の中に蓄積していったものです。当然、私にとってだけ必要なデータであって、他人にとってはまったく無意味なもの。つまり、興味がなければ知識は不必要なものであるわけです。 赤ちゃん、幼児、子供・・・これらは、「発見する生き物」なんですよね。 みんな、大人に与えられることは、実は望んでいない。 自ら発見し、なんだろう?どうしてだろう?と思わないことには、知識に結び付かない。 いまの自分にとっては、不要なものだから。 赤ちゃんに初めてフラッシュカードを見せると、飛びつく。 初めて見るものだからです。 その時点では、赤ちゃんにとっては「発見」です。 発見したからには、見せて、触らせて! 赤ちゃんは初めてみる物は、見て、さわって、なめて、ひっくり返したり投げたりたたいたり・・・いろんなことをしてみてその物を感じる。 ところが。 落ちついて、座って、ママが見せてあげるから触らないで!・・・ 実に不自然な行為なわけです。 ま、お母さんが「そこに座って!見せてあげるから」といって、すごい勢いでフラッシュすると、とりあえずは、見る。 絵が次々と変わっていくからおもしろい。 適当に20~30枚ぐらいで、「おしまい」にすると、当然、もっと!もっと! 赤ちゃんがこういう反応をすると、当然お母さんとしてはうれしい!うちの子天才になるかも!と、勘違いする。 そうです。 カンチガイなんです。 何度かやって見るうちに、同じカードが繰り返し出てくるうちに、触って、なめて、たたいて投げても、カードに書かれた絵が動いたり、音を出したりしないことが分かると、「な~んだ」、で、終わり。 そうならないために、ドーマンは 触らせてはいけない 一度に大量に見せてはいけない 飽きさせてはいけない などと書いてますが・・・なんのことはない。ドーマンだって、「カードは飽きる」ということを知ってるんじゃないですか! ちょっと、話がずれましたかね。 フラッシュカードは、一度目は確かに発見なので、飛びつく。しかしそれが2度目、3度目になり、ママが覚えさせようと繰り返しはじめたら。 赤ちゃんははっきりと不快感をあらわすはずです。 自分で動いて、発見したものではないから。 じっと座った状態で、誰かがシャワーのように浴びせる知識を、喜ぶ赤ちゃんは、いない。 いつだって、自分で動いてのぞいて、ふたや扉を開け、発見したものを手に取り、舐めてみて放り投げてみて・・・赤ちゃんは実に忙しそうに日々を過ごしてますよね。 部屋の中には何があるでしょう。いす、机、テレビ、電話、DVD、本、雑誌、新聞。 えんぴつやペン、紙、電気のコード、クッション、カーテン、スリッパ、洋服、タオル。 大人にとっては取るに足らない、すべてのもの。 それが、赤ちゃんにとっては初めてみる物触るもの、発見の連続。 どういうふうに使うのか、試しにあれこれひねくりまわし、大人が使っている様子を見ればなるほど、そうか。自分もやってみたい。 知識は本来、そうやって自分で獲得していくものであるはずです。 それを、大人がカードを見せて教えてくれるものにすり替えてしまうと、どうなるか。 世の中にはいろんなおもしろいものがある!という、知識欲。 これはいったいなんだろう?という、好奇心。 自分で発見することの喜び、感動。 こうすると、どうなるかやって見よう!という、行動力。 それらがすべて、失われる。 ついでに言うと、物事の奥深さを知ることも。 表面的な浅い知識だけで、それを「知っている、分かっている」と思いこむ。 探究心、思慮深さ。 それさえも失われる。 これが、どれほどのダメージになるか。 想像できるでしょうか? 乳幼児から12歳までの時期に、いったい何を学ぶことが最優先なのか。 ぜったいにつまらない知識の詰め込みではないですよね。 発見することを楽しみにし、また発見した物事をどうやって活用するか・・・目をキラキラさせながら、「いってきま~す!」と、外に飛び出していく。それが、子供の本来の姿。 赤ちゃんだって、家の中を自由自在に探検して回るときが、一番いきいきしてる。 こどもはいつでも正直です。自分がやりたい!と思うことは、確実にそれが「自分にとって、今、必要なこと」なのだということを知っているんです。 カードを大人しく座って見ることを、押さえつけてでもおしえ、 実物は危ない、汚れる、散らかる、壊れるからと触ってはいけないことをおしえ、 地図の記号や原子記号を覚えさせ、世界の国旗をすべて覚えて言えるからと、 「○○ちゃんは、すごいね! 世界のことを、みんな知ってる。 天才だね~~!!」 と、ほめる。 ああ~~~!!!! フラッシュカードを、きちんと使いこなす、ということは、 こういうことです。 まともに使いこなせなくて、本当によかった・・・ にほんブログ村 ↑ ランキング参加中です♪ フラッシュカード、うちも使いこなせなかったわ♪という方は、是非ぽちってください^^ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
[早期教育について思うこと] カテゴリの最新記事
もぉ~ホントにね~
過去の自分が恐ろしいわ~。 科学的にとか脳科学の専門家がとか シナプスが増えると。。。云々 誇大広告のこれ絶対嘘やん~ってチラシに騙された気分です。 (2009年11月16日 14時28分09秒)
みっち(´∀`)さん
>もぉ~ホントにね~ >過去の自分が恐ろしいわ~。 過去の話、過去の話! 使ったお金は勉強料だと思って・・・ 未来を見つめましょうよ♪ そういえば、こないだ「いいとも」に世界の国旗を全部あてられる子供さんが出てましたね~~ (2009年11月16日 22時53分57秒)
シェアさせてもらってもいいですか?
(2018年10月05日 16時50分56秒)
|