3713646 ランダム
 ホーム | 日記 | プロフィール 【フォローする】 【ログイン】

Manachan's World-東京下町日記

Manachan's World-東京下町日記

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

PR

フリーページ

キーワードサーチ

▼キーワード検索

お気に入りブログ

累積利益7億円達成!… かぶ1000さん

2024年5月14日(火) duke3さん

2024.5.7 18時締切 … 小場 三代さん

THE GAME OF LIFE むかついてきましたさん
こあらオヤヂblog こあらオヤヂさん

コメント新着

オーティズム グリーン@ Re:祝・甲府物件取得!(07/31) soup yummy +10 social credit 鈴木ソ…
Bing Chilling@ Re:大連に行きます(08/03) Social credit +100 so based 鈴木ソフ…
Wake up from the public brainwashing!@ Re:楽しいノースカロライナ(03/19) In a world full of lies, deceitful tr…
久保田賢一@ Re:女性用下着モデル考(01/22) 楽天の女性インナーによく出てくモデル
Manachan@ Re[2]:消えた湾岸ナンバー(07/13) もとい…葛飾と松戸と市川は、それぞれ別々…
2009年01月09日
XML
カテゴリ:エッセイ集
今日の日記は、誰にとっても身近な、日本語の話題でいきましょう。

読者の皆さんは、「見れる」、「出れる」、「来れる」といった、いわゆる「ら抜き言葉」を使いますか?こうした「ら抜き言葉」は、日本語の乱れだと思いますか?




日本語の標準口語文法では、動詞に「れる」、「られる」の助動詞がつく場合、「れる」は五段活用動詞の未然形に、「られる」は五段活用以外の動詞の未然形に接続する、とされています。そのルールに従うと、、

「食べる」+「られる」→「食べられる」
「来(く)る」+「られる」→「来られる」


が、正しい用法とされています。したがって、「食べれる」、「来れる」など、いわゆる「ら抜き言葉」は、文法上誤りであるとされます。

ところが、「ら抜き言葉」は古くから、名古屋周辺、北陸地方、高知県など、日本のいくつかの地方で、当たり前に使われてきました。東京周辺でも、大正時代あたりから、口語として流行りはじめたようで、今では若い世代を中心に、広く使われています。つまり、口語の世界では、国内各地であまりにもポピュラーになりすぎたため、「文法上誤りである」と論断するのが難しくなってきたのです。

一方、文章語の世界、特に公的なコミュニケーションの場では、文法上誤りとされる「ら抜き言葉」を使うのは、さすがに憚られるとみえて、今日でも、「ら抜き言葉」が新聞に出てくることは、話し言葉の引用を除いては、ほとんどないそうです。

こうした、「口語では一般的に使われるのに、文章語では一般的ではない」という、「ねじれ現象」が顕著になってきた1995年、第20回国語審議会で、「ら抜き言葉」を全面的にとりあげ、結論としては、「改まった場での使用は認知しかねる」とした中間報告最終案をまとめました。それをきっかけに、「ら抜き言葉は、日本語の乱れか否か?」という論争が起こったことを、記憶されている方も多いことでしょう。




ところで、私が「ら抜き言葉」を使っているかというと・・・これが、思い切り使っています♪。話し言葉では、ほとんど「ら抜き」になりますし、メールを書くときも、改まった書面でない限り、「ら抜き」になることが結構あります。

なぜ使うのかというと、単純に、機能的で便利だからです。日本語の助動詞「れる・られる」には、「受身・尊敬・自発・可能」の4種類もの意味があるので、「食べられる」という言葉だけだと、可能の意味にも、尊敬の意味にも、受身の意味にもなりうる(何を指すかは、もちろん、文脈から読み取れることが多いですけど・・・)。そこで、「ら抜き」言葉を使う。たとえば、「食べれる」と言った場合、そこには「可能」の意味しかないので、意味の取り違えがまずない。職業柄、「単純明快を善」、「誤解を悪」とするIT技術者にとっては、便利でやめられない言葉なのです。

私の話す日本語は、典型的な首都圏語(標準語に少量の東関東方言が混じった状態)ですが、私の知る限り、同世代の首都圏出身者は、口語で「ら抜き」言葉を使う人の比率が、約半分か、あるいはそれ以上かもしれません。「今日、忘年会来れそう?」、「先約があるので、来れないと思います」・・・。

名古屋人だと、なおさらです。「来れんに決まっとるがね!」(来れないに決まっている)。そもそも、「ら抜き」言葉なしには、話し言葉が成立しない状態になっているかもしれません

「ら抜き」言葉を比較的使わないのは、関西人。「来られへんと思いますー」・・・「来れへん」という言葉は、そんなに聞かない。あと九州人だと、やっぱり「ら抜き」が多いかな・・・「来れなかと思います」。




「ら抜き言葉」論争の面白さは、日本語という言語が社会で使われる上での、いろいろな側面を浮き彫りにしているところにあります。たとえば、

・日本語には、豊富な方言のバリエーションがあり、それらが、相互に影響しあっていること
・話し言葉はまさに生き物であり、社会の変化に合わせて、時代とともに、常に姿を変えていくこと
・話し言葉に比べて、文章語の変化のスピードは概して遅いこと
・国家の要請から、人為的に標準語を作り、文法をパターン化する作業のなかで、そこから漏れてしまった「ら抜き」言葉を、「文法上の誤り」と処理する以外になかったこと
・その「文法上の誤り」であった言葉が、口語では一般化して、全国に広まったこと
・世の中には、「ら抜き言葉」をすんなり受け入れる人と、嫌う人がいるために、論争にまで発展すること



「ら抜き言葉」の公式な評価は、まだ定まっていません。私も、日常生活では「ら抜き言葉」を使っても、仕事では一応、責任ある立場にある以上、公式なコミュニケーションの場では、その使用には慎重でありたいと思っています。

でも・・・長い目でみれば、すでに勝負はついていると思います。これから30年、50年後には、「ら抜き」が正式な日本語の文法として、認知されるだろうと私は思います。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2009年01月09日 00時05分46秒
コメント(0) | コメントを書く
[エッセイ集] カテゴリの最新記事



© Rakuten Group, Inc.