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Manachan's World-東京下町日記

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2010年02月07日
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カテゴリ:エッセイ集
私は、今から10年前に日本を飛び出し、海外で7年過ごしました。
それから、縁あって日本に再移住し、約3年が経ちました。

そういう経緯があるので、日本の外で暮らしたことがない人間とは、ものの見方、考え方、感じ方が多少違ってくるわけですが、そんな私が常に思うこと、


日本は、便利で快適だし、食べ物は美味しいし・・・これで、「人間の問題」さえ解決すれば、最高なんだけどな


私が、日本の暮らしこそが「世界でナンバーワン」だと心から自信持って言えない主な原因である、「人間の問題」って一体何なのか?それを、ここ10年間、考え続けてきました。

おそらく、個々の人間の問題ではないのでしょう。それどころか、日本人は、個人レベルで見れば、おそらく世界で一番、実直・誠実で、信頼がおけて、善人度が高い部類に入ると思います。

たとえば、世界一、高密度な人の流れをさばきながら、大抵、一分の狂いもなく到着する首都圏の通勤電車。遅れたら、「お急ぎのところ、ご迷惑かけて申し訳ありません」とアナウンスが流れる・・・世界的にみても、この優秀さは比類のないものでしょう。

今日の日本では、それぞれの現場で働く人が誠実に、自分の役割を果たしていることにより、たいへん快適で便利な生活が成り立っています。

では、何が問題なのか?

日本人「個人」よりも、彼らが属する「世間」の問題が大きいと思います。


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆


「世間」とは何か・・・このテーマを、長年に渡って突き詰めて考えてきた、碩学の言葉を借りたいと思います。


佐藤直樹「世間の目」によれば、

「世間」を「日本人が集団になったときに発生する力学」と考えたい。これは個人の意思とは別に相対的に独立してあらわれる集団の意思そのものである。この意思はある種の強制力をもっている。

「世間」が「権力」だといわれると、すこし違和感があるかもしれない。しかし「世間」はある場合にきわめて強力に個々の人間を拘束するようなチカラをもつ。私たちはそれには、抵抗するのが非常にむずかしい。



また、「世間」という言葉を明示的には使わなかったけれど、(私思うに)ほぼ同じ意味で、「システム」という言葉を使って考察した、カレル・ヴァン・ウォルフレンの言葉を借りると、

「システムは個人が暴力にでも訴えない限り、手も足も出せない逃れのないような支配構造をいう。それは民主的な政治の調整力の範囲を超える権力をさす。また、時々、騙されるし、理屈が一切、通じない代物である。

個人の人の力よりもはるかに強い力を持つ社会的、政治的な仕組みである。この仕組みを変えるには、民主的な方法で訴えるということすらも認識していない。



世間とは、日本人が社会生活を送る上で、自発的に従わざるを得ない「見えない掟」のようなもの。「世間が許さない」「世間体が悪い」「渡る世間は鬼ばかり」「世間を見返してやる」「世間に申し訳がたたない」「世間に恩返しする」・・・21世紀になり、古いタイプの義理や慣習の多くが消えた今日でも、日本人の心には「世間」が強く生きています。

世間は、政権とか経営権のように、目に見えるかたちで存在するものではないので、つかみどころがないですが、世間は独自の意志を持ち、個人の人間よりはるかに強い、強制力、拘束力を持っています。

日本における政治経済の最高権力者でさえ、世間に強制・拘束されています。組織の上の方に行けば行くほど、「大人の事情」とやらで、奥歯にモノの挟まったような言い方をすることが多くなりますよね。それを強制しているのは、「世間の目」であることが多い。

世間は、個人の意志とは別の次元で、自身の強い意志を持ちます。それは、日本人を幸せにすることもあれば、騙したり、突然の不幸・災難に陥れることもあります。

そして、ウォルフレンが言うように、世間は理屈が通じないし、個人がいかに頑張っても、たとえ政権交代しても変えられるものじゃないと、多くの日本人が思い込んでいる。自分ではどうにもならない、暴君の如きものと一生涯つきあっていかねばならない。そのことが、私たち一人ひとりの暮らしを息苦しくさせています。

いくら息苦くても、世間様には一切抵抗できないから、多くの日本人は、何か事件が起こった時、特定の個人や集団をヒステリックに攻撃することで、息苦しさを一時でも紛らそうとします。


朝青龍、小沢一郎、ホリエモン、アネハ、光市の母子殺害事件・・・枚挙に暇がありません。


上に挙げたような事件は、日本人が我が社会制度を見直し、改善していく良い機会であったはずなのに、ヒステリックな「世間」の声の前に、地道な改革努力がかき消されてしまった感があります。

本当の悪は何か、何が根源的な問題なのかを突き詰めて考えることなく、恣意的に、勇気を持って告発した人や、事件の発端を作ったを人物を叩くことで満足してしまう。「世間」がそれを要求しているのでしょう。

アネハ事件は、その典型だと思います。耐震基準関連の制度を改善して、人々が国の制度を信頼して住宅を買えるようにすべきだったのに、アネハ個人を叩くことに終始したり、アネハが設計した住宅を買い、結果的に家を失った不運な人たちを冷ややかな目で見たり・・・本来なら、そういう人たちが損しないように徹底的に救済することが、日本人の住宅に対する信頼を高め、この国の住宅市場を建て直すことにつながるのに。

そんなことばかりが続くので、結局、日本人の近代生活を支える大事なインフラであるはずの社会制度は、いつまでもアップグレードしていきません。年金制度、税制、医療制度も然り、日本人が代々、社会制度を大事にしてこなかったツケが、いま顕在化しています。

本来なら、個人が「世間」から身を守り、誰にも必要最低限の人権が保障されるための手段・装置として、社会制度を設計すべきなのに、実際は、世間様から制裁を受けたら最後、尊厳ある人間の暮らししかできないようになっているのです。


集団によるヒステリックな攻撃は、日本的な「いじめ」の典型的な表れでもあります。

たいていの場合、空気が読めなかったり、とんがっていたり、悪人面をしていたり、だらしなかったり・・・そんな人物が、いじめの対象になりやすい。有名人でもそうでなくても、大人の世界でも子供の世界でも、同じことが言えます。私自身、子供時代は「いじめられっ子」だったので、突然、集団が牙をむいた時の恐ろしさを、身にしみて感じています。

おそらく、70年ほど前、日本が泥沼の戦争に突入していった時の集団心理も、たぶん、同じようなものであったと想像できます。一部の声の大きい人間(軍部)が、声高に戦争を叫ぶなか、社会の「空気」が戦争モードに入っていく。多くの日本人は、各人がいろんな考えを持ちつつも、「空気を読んで」世間様に従い、戦争に協力する・・・という図式ではなかったか。


特にここ20年ほどは、世間が日本人一人ひとりに与える影響は、マイナス面が目立ってきたと思います。

たとえば、経済グローバル化のなかで、自分の考えを持ち、論理立てて、外国人に説明できる能力がビジネスの場で求められているのに、これまで「世間」のなかで、モノを言わず、自分の考えを持ってこなかった日本人は、割りを食っています。

また、地球環境問題など、人類全体を巻き込む政治的イシューが多くなり、またハイチ震災PKOのように、国境を越えた協力の機会も増えてきたなかで、これまで世間にくるまれて、誰もが尊厳を持って生きられる社会制度の設計を怠ってきた日本人は、金銭的貢献度の割に、指導的な立場に立てていません。


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆


では、私たちはどうすればいいのか?それは、「日本人がどうすれば幸せになれるのか?」という根源的な問いにつながってきます。

私は、つまるところ、日本人が「自分の意思で、世間様を飼いならす」ことを覚える以外にないのかなと思います。それには、二つの方向性があって、


1.自分の意思で、世間を、まともなものにしていく


私たちは普段、人さまの顔色をうかがい、場の空気を読みながら暮らしているうちに、知らず知らずのうちに、世間のパワーを強化して、コントロール不能なものにしてしまう。その結果、自分の人生を窮屈にしてしまっている・・・それを自覚できていれば、自分の意思でそれを断ち切っていけば良い。

たとえば、自分の意見や信念を持ち、相手が受け入れられるようなかたちで(ビジネスの場では、プロフェッショナルに)表明し、ディスカッションする訓練を積む。相手が上司や社長であろうと、自分の「あるべき論」を貫いていく。

そして、聞く側も、「おさえて、おさえて・・・大人になりなさい」、「空気を読みなさい」、「世の中理屈じゃないんだよ」みたいな受け答えをせず、ロジックにはロジックで応える習慣をつける。

企業組織であれば、言葉によるオープンでフラット議論を奨励する仕組みや雰囲気をつくっていく。それがうまくいけば、内部告発に至らずとも、組織の自浄作用が働くと期待できます。


2.世間に頼らずとも、個人として生きていける領域を増やす


今の日本では、老若男女問わず、多くの人が、自分は世間を離れては生きていけないと思い込んでいることから、世間のチカラが限りなく強化されてしまう傾向にあります。人によっては、「会社=世間」、「業界=世間」、「学校=世間」であったしますが、基本的な構造は同じ。では、どうすれば良いか?

自分の属する世間を離れても、不自由なく生きていく状態をつくるか、その自信を持つ以外にないと思います。

たとえば私は、「いまこの瞬間、会社を首になっても、いつでも再転職できる」職務能力と、「日本社会に袖にされても、すぐ海外に行って暮らせる」状況をつくるべく、この10年間努力を続け、それを実現しました。ですので私は、世間から排斥されても、怖くありませんし、日本に暮らしつつも、誰に対しても言いたいことを言い、自分の信じる道を生きています。

また、日本を出なくても、誰からも認められる技術や職務能力を身につけたり、自分の属する世間以外に、友人知己をたくさんつくることによっても、世間への依存度を下げることができると思います。

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最後になりますが、自分のかけがえのない人生を精一杯、好きなように生きるには、まず、私たちの暮らしを覆い尽くす「空気」のごとき「世間」なるものを、直視する必要があります。

この「空気」は、私たち一人ひとりが、無自覚のうちに作り出しているものです、そのことをまず自覚して、私たちの人生を本当に実り豊かにする「空気」に変えていくよう、一人ひとりが意識的に行動していく。

そうなっていけば、日本は名実ともに、世界で一番住みやすい社会に向けて、長足の進歩を遂げると思います。





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最終更新日  2010年02月07日 10時47分47秒
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