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Manachan's World-東京下町日記

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2010年04月13日
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カテゴリ:街歩き
4月1日に、政令指定都市に昇格した神奈川県相模原市(人口71万人)。その昇格をめぐって、他のどの都市にも増して、賛否両論が渦巻いています。

もともと政令指定都市(政令市)とは、大阪市、横浜市、名古屋市など、日本を代表する大都市だけがなりうる特権的な存在でした。

しかし、その後はどんどん条件が緩和されて、挙句の果てには、「合併して人口70万人を超えれば政令市になれる」ようになったので、静岡市、浜松市、新潟市など、地方の中堅都市が、次々と政令市の仲間入りをしました。

この状況を、「政令市のバーゲンセール」と呼び、苦々しく思う人も多かったのです。そこにもってきて、さらに地味で知名度のない相模原市が政令市になったので、彼らの不満(?)が爆発したのです。

某大新聞には、「歴史も病院も水道局も持ってないくせに何が政令市だ!」みたいなことを書かれました。確かに相模原には、市営地下鉄もない、路面電車もモノレールもない。それどころか、中心市街地と呼べる街さえない。一戸建てとマンションで埋め尽くされた郊外住宅都市を、政令指定都市と呼んでいいのか?と、反対派は吼えます。

でも、気にすることはないのです。一部のニッポン人は、ほんの50年前まで一面の荒野「さがみっぱら」だった、成り上がり都市が、大阪市や横浜市と同じ格になることが、気に食わないだけなのです。

別に背伸びして、横浜とタメ張らなくてもいい。それよりも胸を張って、これまでにないタイプの政令市を目指せばいい。実際、昔からの大都市でもない、城下町でもない、県都でもない、戦後生まれの郊外住宅都市のなかで、政令市一番乗りを果たした相模原市は、ある意味、日本の都市の歴史を塗り替えたわけで・・・相模原と似た、東京郊外ベッドタウン都市・柏市の出身者として、心から祝福したいと思います。




しかし、生まれたての政令市・相模原市の前途は、ばら色とは限りません。

リニア駅の誘致、通勤路線の延伸、米軍基地の返還、高速道路開通・・・明るい材料はたくさんありますが、いまの日本は人口減少・経済停滞の時代。多額の資金を必要とする大型開発プロジェクトが、全て実を結ぶとは限りません。むしろ、そうならない可能性も大きい。

しかし、それにも増して、私が懸念するのは、人口動態です。

相模原市は、ここ50年ほどで人口が8倍になりました。特に昭和30~40年代に、爆発的な人口増加をみました。当時は高度経済成長期。日本各地の農村から、東京など大都市に、夥しい人口が流入した時代です。

当時の相模原市は、住宅都市としてだけではなく、工業でも大きな成功を収め、日本有数の内陸工業都市となりました。それが、人口流入にさらに拍車をかけました。

しかし、「市外からの人口流入で成長する」構図が、近年、とみに衰えています。若い世代が多いので、自然増(出生数-死亡数)はプラスですが、一方で、社会増(転入-転出)はほぼゼロ近辺を彷徨っています。

方や、周辺の町田市や八王子市、横浜市、川崎市などは、今でも社会増を続けていますから、それらライバル都市に比べて、相模原市が住宅地として選ばれていない状況が、データから読み取れます。

年齢別に詳しくみると、20~24歳で大幅な転入増があるのに、25~29歳で転出が多くなっており、折角、相模原市に移り住んだ学生が、就職したら市外へ出て行く傾向が見てとれます。また、永住目的で住宅を購入する35~44歳の流入が、以前と比べて減っている傾向も見られます。

地域別に詳しくみると、現在、市外からコンスタントに人口を吸引していると思われる地域は、橋本と相模大野くらいで、その他の地域(横浜線・相模線沿線等)では、人口流出になっている地域も多く見られます。

住宅都市である相模原が、周辺都市との住民獲得競争に敗れて、転出が転入を上回るようになったらどうなるか?

まず、人口増加がまもなくストップして、減少局面に入るでしょう。現在、70万人ぎりぎりの人口が、近い将来、70万人を割り込む事態も、十分考えられます(もっとも、その前に、新潟市が70万人を切ると思いますが・・・)。

財政的にも苦しくなります。担税力のある若い市民が増えず、その代わりに、高齢者が増えていくことになるわけですから・・・。

さらには、空き家ストックの問題も顕在化してくるでしょう。昭和の時代に、相模原市内に一軒家を買ったオーナーが高齢で亡くなり、その子供の世代が親の家に住まず、他市に出て行くのであれば、持ち主のいなくなった一戸建て住宅が、市内に虫食い上に大量出現することになり、治安や環境の悪化も懸念されます(相模原だけでなく、首都圏全体の問題ですが)。

せっかく政令市になって、さて、これから新しい都市づくりだという時に、足元の人口流入が細っている。これこそが、新生・相模原市の直面する根本問題だと思います。




相模原市が、他市との住民獲得競争に勝つために、何を為すべきか?

という設問は、あまり意味をなしません。相模原市はあまりにも広く、数多くの駅・街から構成されている上に、町田駅前のような中心市街地もないので、市全体としてのイメージが打ち出しにくいからです。

たとえばの話、相模原市における二大看板の街といえば、橋本相模大野でしょうが、この二つの街は遠く離れ、沿線も違えば、街の個性も全然違います。だから、街の売り出し方としては市の名前ではなく、どうしても、「橋本」、「相模大野」が主語にならざるを得ない。

私思うに、相模原市がとるべき戦略としては、まず「橋本」と「相模大野」の魅力を増して、周辺市からこの二つの街に住民を貼り付ける。そして、人生のライフステージに応じて、市内各地への住み替えを誘導していくのが良いと思います。すなわち、


第一ステップ【二大看板都市誘導策】
住まいを八王子にするか、橋本にするかで迷っている人を、橋本に引き寄せる。或いは、町田・相模大野の二者択一で迷っている人に、相模大野を選ばせる。

ここでは、情報・イメージ戦略が何よりも重要です。例えば、「リニアの新駅は八王子にはできないけど、橋本にはできるかもしれない」、「町田より、相模大野の方がファミリー向きで治安も良い」等々・・・情報戦略の対象は、橋本誘導なら多摩センター以西の京王沿線、相模大野誘導なら新百合ヶ丘~本厚木の小田急沿線に集中すべきでしょう。


第二ステップ【市内住み替え促進策】
橋本や相模大野に住んでいる人に、より安くて広い家に住める、市内(横浜線、相模線沿線等)」の住宅を紹介して、定住してもらう。

ここでは、住宅情報提供とともに、市内住み替えに対する財政上の優遇策などが有効と思われます。



特に、相模原市の浮沈の鍵を握る地域は、橋本だと思います。ここは交通の要衝であるだけでなく、今後、工場移転跡地が大量に発生する地域でもあります。その跡地を、いかにイメージの良い住宅・商業地域に仕立て上げていくか、市のプロデュース能力が問われてきます。




日本史上初、ベッドタウンから身を起こして大都市クラブの仲間入りした、相模原市。「横浜、川崎とは格が違うんだよ」といった世間の非難を受け流して、これまでにないタイプの、堂々たる大都市を目指して欲しい。

その前提条件が、相模原の場合、首都圏の住宅都市として、更なる成功を収めることなのだと思います。





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最終更新日  2010年04月14日 08時19分06秒
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