|
カテゴリ:近況
日本ソプラノ界の宝。
佐竹由美(さたけなおみ)さんが亡くなって、2年。 香川県レグザムホールで追悼コンサートがありました。 ご主人の辻秀幸氏の指揮の下、ヘンデルのメサイアが演奏されました。 それに合わせて、追悼文集が作られました。 表紙の絵を描きました。 私も寄稿しました。 南正邦 (高松一高芸専コース同級生) 肖像画を描いた南正邦です。 佐竹由美さんと私は、高松一高の同級生です。二年生の時に、 芸術専門コースで一緒になりました。 通称「芸専」は、声楽、 器楽、 ピアノ、 美術、保育専門などを目指す学生たちの集まりです。 担任は合唱の竹内肇先生で、一人一人が、エネルギーと才能とパワーとを秘めています。私は、そのクラスで竹内先生から委員長を指名されました。 佐竹さんは、クラスの推薦で副委員長となり、芸専卒業までクラス委員を佐竹さんと一緒に務めました。 そのパワーあふれる二年生の一高祭では、クラスで、オペレッタ、ヘンゼルとグレーテルを上演しました。 主人公のヘンゼルが、佐竹由美さんです。 田中雅純君が魔法使い役で、樫村誠君がお父さんです。 伴奏はピアノ科達が分担して演奏し、舞台制作と照明は美術で担いました。 一回限りの舞台を満杯の一高ホールで上演し、 大喝采を浴びました。 三年生の時、音楽部は、 NHK全国学校音楽コンクールと全日本合唱コンクールとダブルで金賞に輝き、吹奏楽部も全国出場し、佐竹さんもその中心メンバーの、すごいクラスでした。 大学受験では、佐竹さんは、東京芸大の声楽科に現役で合格しました。 芸専を卒業した同級生たちは、それぞれの進路に向かっていきました。 しかしクラスの何人かは、翌年の佐竹さんと芸大での学び合いを誓いました。私も、東京芸大の彫刻科を目指し東京の美術予備校に通いはじめました。 佐竹さんは、私の為に翌年の芸大の願書をもらってきてくれましたが、私は、三浪をしても、 芸大に入れず、 東京造形大学の彫刻に進学しました 。 次の年、佐竹さんは、芸大を首席で卒業したのを聞きました。 私が造形大学を卒業する年、卒業制作展の会場に、わざわざ佐竹さんは、見に来てくださり、 喫茶店でお互いの消息を確かめ、前途を祝ってくれました。 それから、ミラノに留学され、東京芸大などで後進の指導にあたられました。 私は造形大学を卒業した後 高松に戻り、専門学校の先生をしながら、銅像を作ったりしました。 誕生日にはフェイスブックに誕生祝いを交換して、近作を添付していました。 私が、国立新美術館での展覧会に彫刻作品を発 表した時、佐竹さんは、芸専の同級生と見に来て、ブログに、「彼の作品は」と紹介してくださいました。 私が竹内先生の喜寿祝いで肖像画を描いた時、 佐竹さんから、「私も描いて」と頼まれ「いいよ」とそのままにしておりました。 六十歳の同窓会に歌ってくれる約束が、コロナで延期になりました。 そこへ突然の訃報。 「何でだよ。 天に召されるのが早すぎる。」 さらに翌年、お母さまで、香川県美術家協会でお世話になった、染色家の佐竹藍月先生の訃報まで。 今、肖像画を描きながら「さたけ、 どう?」とつぶやきます。 ところが、佐竹さんがいないことに気付き、 涙が溢れ出ます。 「約束の絵です。君の奇跡の歌声にこの絵が届くでしょうか。ありがとう。」 どうか安らかにお休みください。 「よかった」
お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2024.03.12 20:12:30
コメント(0) | コメントを書く |