【粗筋】
浅草雷門の脇に磯辺大神宮という祠があり、暮六つになると雷門が閉ざされるので、吉原通いの客はこの境内を通り抜ける。大神宮が吉原の噂を聞き、自分も行ってみたくなり、門跡様(阿弥陀如来)をさそい、互いに「大さん」「門さん」と呼び会うことを約束して出掛けた。
芸者を揚げてわっと騒いだ翌朝、店では、大神宮様は唐桟の着物に茶献上の帯だからどこかの商家の旦那だろう、阿弥陀様は羽織を着て坊主頭だから藪医者が旦那を取り巻いて遊んでいるのだろうと考え、勘定書を門跡様の方に回すことにした。
「ええ、お早うございます。恐れ入りますが、昨夜のお勤め(勘定)を願いたいので」
お勤めというので正体がばれたかと思い、
「仕方がありません。手をこうやって合わせなさい。いいですか……ナームアミダー」
「へへ、これはどうも、おからかいで……お払いを願います」
「ああ、御祓いなら、大神宮さまへお出でなさい」
【成立】
「大神宮の女郎買い」「御祓い」とも。
前半の吉原通いの客が惚気るのを膨らましたのが「別れの鐘」。この部分から、女郎の便所が長いので丑年だろうというクスグリが「明烏」や「義眼」に残されている。荒神様が加わって3人で出掛けるのは「神仏混淆」という題で呼ばれる。
【一言】
(古今亭志ん生(5)は、)小せん(柳家(1))がこの噺のマクラに振った、蛙が女郎買いに行く小咄を、「首ったけ」その他のマクラにそっくり頂いていた。(立川志の輔・「蛙の女郎買い」を参照。小せんは「吉原田圃(なかたんぼ)世は一人あけ二人あけ」という川柳を使っている)
【蘊蓄】
大神宮とは伊勢の内宮(皇太神宮)と外宮(豊受大神宮)を合わせた尊称。磯辺大神宮は「伊雑」とも書いて、伊勢内宮の別宮。浅草のものは現在存在していない。