盛岡の豆銀糖(旧サイトから移行)
2006年5月初公開 竹皮で作られた素朴な風合いのパッケージを開けると、目にも鮮やかな緑色のお菓子。「豆銀糖」という、不思議なネーミングが気になります。この豆銀糖。由来がなかなか面白いのです。石橋幸作さんの『駄菓子風土記』によると、江戸時代、豆銀という銀子が南部藩家中にあったそうです。豆銀が出来たきっかけというのが、お女中衆の贅沢三昧ぶりに江戸在勤の殿様がほとほと手をやかれたことに始まるのだとか。殿様、一計を案じました。お手当てのかわりに「豆銀」と称する銀と鉛で出来た延べ棒を与えたのです。これには、さすがのお女中衆も困り果てましたが、そこはお女中衆。使い方をしっかり考えました。延べ棒がたいそう柔らかいものですから、寺参りなどのお賽銭には延べ棒をちぎって使ったそうです。でも南部の殿様の金融政策は、これだけには終わりませんでした。なんと、この豆銀を通貨に替える際には南部藩に両替手数料を支払う仕組みも作ったそうです。南部藩は、一挙両得。なんか、自分お金を引き出すのに手数料を払わなければいけない銀行のATMを思い出しちゃう話です。 さて、そのいわくの通貨「豆銀」をお菓子にしたのが南部家31代目の信恩公*。ときの菓匠が京都の「州浜」を雛小判(豆銀)の型に整え「豆銀糖」と名づけ、信恩公に献上したとのこと。茶席の銘菓として、珍重されたそうです。 食べると、大豆の風味が広がる甘~いお菓子です。京都の州浜と食べ比べてみるという手も。東と西の違いを体感してみましょ。切れ目が入っていますので、そこからお好きな数だけ、切り分けて召し上がれ。(由来は、石橋さんの『駄菓子風土記』と丸藤さんの由来書きを参考にしました。) *信恩公は、のぶおきこうと読みます。 ↑なぜか仙台市内の「つかさや」さんで入手。 素朴な包みに、心魅かれます。 税別298円(税込313円)/1本 価格は初公開時のものです。 (株)丸藤 盛岡市大通2―7―28 tel 019―647-1122(代)ホテルエース盛岡