端午の節句の笹巻(行事菓子)
(2007.5.7→2007.10.6→2008.8 再更新)秋田県南地方出身の私にとって、旧暦・端午の節供のお菓子といえば写真の笹巻き。チマキと呼ぶこともありました。この笹巻き、なんと東北に広くありました。呼び名*1と笹の縛り方はそれぞれですが、笹の中には水煮した餅米が入っていて、それは各県ともほぼ共通します。また笹が採れる時期が旧暦・端午の節供時期頃になることから、行事菓子として田植えどきの間食として食べられていたことも共通していました。 南から順に見ていきましょう。福島県では会津地方、福島県内陸の北部地方。山形県にもありました。ただし庄内に残っている「あく巻き」については、いずれ回を改めて紹介したいと思います。宮城県では白石市を中心とした一部の地域。白石市周辺に笹巻きがあるのは、南西に七ヶ宿街道があることに因るのでしょう。七ヶ宿の名はその字面のとおり、藩政時代の仙台領に七つの宿場があったことに由来しますから、七ヶ宿を通って出羽(東北地方の日本海側)から白石城下*2に入ってきたと考えられます。秋田県は県北に関しては残念ながら情報がありませんが、県南、県央にはあります。形がユニークなのは県南沿岸部の由利地方の笹巻き。笹の葉を3枚使い、三角形の一方を長~く長く伸ばすんだそうです。また秋田県南部の雄勝郡羽後町田代地区は呼び名、中身、形ともに群を抜いて個性的です。呼び名はチマキ。中身はちぎった餅。それを一枚の笹の葉でくるみ、両側に笹の葉をつけるそうです。出来上りは花菖蒲の蕾を二枚の葉が守っているようなかたちになるとか。岩手県は『聞き書き 岩手の食事』(農文協)によると、岩手県北部の一戸町で笹巻きが作られていたそうです。ただし中に包まれていたのは餅米ではなく、白干しひえを粉にして練ったものとか。青森県は『聞き書き 青森の食事』(農文協)によると、下北半島に笹餅という端午の節供の餅菓子があったと書かれていました。 *1 『聞き書き福島の食事』(農文協)によると会津では「ひし巻き」、福島県内陸北部では「まき」などの名前で呼ばれているそうです。会津では笹巻きが今でも作られているそうですが、福島県内陸北部で今も作られているかどうかは、私には情報がありません。*2 白石城は一藩一城の政策を取った江戸時代にあって、徳川幕府が認めた正式な城。白石城には伊達氏の重臣片倉氏が入りました。食べ方は、お砂糖をまぜた甘いきな粉をまぶしていただきます。でも私の好みは、もうひと手間かけるいただき方。黒砂糖があれば黒蜜を作るか、白砂糖で砂糖蜜を作って、きな粉と一緒にいただくというもの。こうして食べると、しみじみ懐かしい美味しさに浸れます。白砂糖で砂糖蜜をつくるときは、仕上げに水飴をひとたらしすると風味がぐーんとアップしますよね。参考:『聞き書き 福島の食事』『聞き書き 岩手の食事』『聞き書き 青森の食事』(農文協) ホテルプラザアネックス横手