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カテゴリ:創作物件
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バルコニーにも生活の痕跡は残っていない。椅子の一脚、観葉植物の一鉢、そこにあってもいいような物が何も置かれていない。もちろんわたしの持ち物らしき品はどこにも見えない。これでこの家のすべての空間は調べつくしたことになる。結論は出さざるを得ないし、ここは立ち去らざるを得ない。裸足で。手には何も持たずに。しかしもしかすると、それこそが、この家にたどり着いた最初の日のわたしの姿だったのかも知れなかった。 最初の日、どのようにしてここにたどり着いたのか。思い出そうとしないようにしてここまでやってきたのに、頭の中にどんな記憶も残っていないことは今や明らかだった。わたしはいつ、どこから、どんな姿をして、どのようにしてこの岬の果ての高台の家にたどり着いたのか。そもそも、女とはどのようにして知り合ったのか。 潮の匂いが鼻を衝いた。ふいに、その潮の匂いが記憶を誘い出すようにして、女がパントリーの床にかがみこんで床の下から何かを取り出す姿が、その手元が、手元が床の下に隠れる様が目に浮かんだ。わたしは食堂に置かれた木製の椅子に座って上体を左側にそらし、パントリーの方を眺めている。パントリーの女は漆喰の床にかがみこんで床の下から食材か何かを取り出そうとしている。床には蓋がついている。女は蓋を開けてその中から何かを取り出そうとしている。空間はもうひとつある。この家の中にまだ調べていない空間がもうひとつだけある。 風にはためく厚手のブロードの白いカーテンをもどかしく除けながら寝室へ戻り、玄関ホールから食堂へ入って、その奥の厨房兼パントリーへ向かった。 (つづく) →NEXT 改稿:2005年7月11日夜 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2005年07月14日 03時08分46秒
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