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カテゴリ:創作物件
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この長方形が蓋の輪郭であることを確信してここに来たが、これが蓋であるならばどこかに取っ手が付けられていてしかるべきであろう。ところがそんなものはどこにも見当たらない。押せばその反動で開くかと思い押してみたが、蓋はびくともしなかった。 そもそも、これが蓋であるという証拠はどこにあるのか。かつて女がここにかがみ込んで何かを取り出そうとしていた。それを隣の食堂から眺めていた。それが、その記憶だけが、この長方形を蓋の輪郭線であるとする確信の支えになっている。 その記憶が錯覚だったとしたら、どうなるか。 食堂の木製椅子に腰掛けて厨房兼パントリーのこの位置にかがみ込んでいた女を見ていた、という記憶の内容の細部が錯覚だったというのならまだしも、その記憶そのものがまるごと、先ほどまでは存在しなかった、偽りの意識作用だったとしたら。あるいは、このパントリー床表面の輪郭線についての記憶が(いまのいままで意識されないままに)まず先にあって、女の動作に関する記憶(と自分がみなしている意識作用)が、その輪郭線の記憶から逆に(いまのいま)生み出された「物語」の類であるとしたら。絶対にそんなことはない、とは言い切れない。食堂の椅子はどこにも見当たらないし、女もここにはいない。女がかがみ込んでいたとする記憶が事実に基づいている、と断言するためには、やがて女そのものの記憶を呼び出してみなくてはならないだろう。そこでまんいち、女のことが何ひとつ思い出せないということにでもなったら、その次には何をどこまでさかのぼればよいのかが分からなくなる。 わたしは両手を床につき、腹ばいになって、輪郭線の内側を仔細に調べ始めた。必死だった。この蓋を開けないことには、何もかもが崩れてしまいそうだった。いやすでに、何もかもがもうとっくの昔から崩れてしまっているのかもしれなかった。この床の平面の下に何かを見出さない限り、わたしは「終わり」である。そのことだけがはっきりしていた。 (つづく) →NEXT お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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2005年07月23日 04時04分44秒
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