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カテゴリ:トルコの生活・日常
トルコの食生活に欠かせない存在であるスープ。
朝食に、メイン料理の前に、お酒の後になど、時には味噌汁的な、時にはラーメン的な立ち位置にあるのかもしれない。メルジメッキ、タウックスユ、イシケンべなど色々あるが、「エゾゲリン」もそのひとつ。 レシピは場所や家庭により少しずつ異なるが、基本的にはトマト、米、赤いレンズ豆などが入ったポピュラーなスープである。 このエゾゲリンはトルコ語ではエゾという名の花嫁と言う意味になる。 トルコに来た当初、スープになぜこの名前が付いているのか不思議になって、調べたことがあった。 それはエゾゲリンという同じ名前のクラシック映画を観たことがきっかけだったかもしれない。 前述のボシュ・ベシックと同じファットマ・ギリック主演の1973年の作品である。 その美しさで知らないものはいないと言われるエゾが同じ村の若者アリと結ばれる。妬むものにより色々事件が起こるが、幸せな結婚生活が続いた。やがてアリは徴兵され朝鮮戦争へ。そこで戦死したと思われたアリの代わりに、義父はアリの弟とエゾを結婚させる。そんなある日、アリは無事に生還。しかし既に愛するエゾは自分の弟の妻となっていた・・・。 これは映画の内容であるが、エゾゲリン伝説からヒントを得て製作されたシナリオなので、伝えられている話とは異なっている。 エゾは本名をゾフレと言い、トルコの南東部ガジアンテップのウルシュ村(現在のドクズヨル村)にボズゲイックリ一族のエミルデデの娘として1909年に生まれた。とても美しい娘でギュゼル(美しい)の意味で周囲からは「エゾ」と呼ばれていた。 年頃になりベレディン村のシットというサズ奏者の青年と結婚した。 ところが様々な出来事によりシットと不仲になりやがて離婚。 その後、6年は誰とも結婚しなかったものの、1936年に親戚にあたるメメイと再婚しメメイが暮すシリアのコズバシュ村で、二人の娘にも恵まれ、1956年に47歳で結核で亡くなるまで幸せな生活を送る。 ただエゾはシリアの村での生活の中で、自分が生まれ育ったトルコに思いを馳せていたと言う。 トルコへの郷愁の思いに、自分が死んだらトルコが見える丘に埋めて欲しいと遺言を残したそうだ。 そんなエゾの一生であったが、彼女とエゾゲリンスープの間にどういう関係があったのか・・・が知りたいわけだよね。 最初の夫と離婚して貧しい生活を送っていた時期、もしくは戦時下のためまともな食材が手に入らない生活の中で、エゾが作る家にあるもの麦、野菜の欠片などなんでも使って作ったスープがとても美味しかったという評判が広がって、その名前がついたという説がある。 シリア国境の村に暮らし、生まれ故郷のトルコを見つめ続けていた美しい花嫁エゾゲリンが作ったスープがエゾゲリンというわけのようである。 そう言えば、映画の中でも家族で食卓を囲んで鍋から直接木製の匙でスープをすくい飲んでいるシーンがあった。スープはエゾゲリンスープではなかったかもしれないけれど、ゲリンのエゾが作っていれば確かにエゾゲリンスープ このシーンを観て、思い出すのはひと昔前は皿にスープをよそって飲むなんてことはなく、こんな風にみんなで鍋に自分のスプーンを突っ込んでいた。 そして食事中の飲み物と言えば水で、それもコップ1つをみんなで回し飲み。と言ってもコップに注がれた水を全部飲みほして次の人に回すスタイルであった。 そう言えば、最近はそういうのも村以外ではあんまり見なくなったよねえ。 ------------------------------------------------------------------ YouTubeに「ikumi nonaka」チャンネルを開設しました。 トルコの伝統手工芸、食文化、生活、牧畜などをご紹介していきます。 新着のお知らせがいくように、チャンネル登録をぜひお願いします❤ ikumi nonaka チャンネル ------------------------------------------------------------------ ミフリのショッピングサイトはコチラ↓ ミフリ&アクチェ にほんブログ村 にほんブログ村 その他・全般ランキング へ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
January 8, 2023 09:14:29 PM
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