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身体・感覚とアート

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ゆぱさん

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2005年11月01日
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『たとえばこんなことがありました。ここにはいられたある女性の部屋で、「ああ、この人の命はあと一週間か二週間くらいだ。

私は二週間後に来るのだけど,そのとき彼女はいるだろうか」と考えたのです。

「絵がとても好きな人なので、あの部屋に何か美しい絵の額を飾ってあげたい。それとも、どこかに出かけたら絵はがきを送ってあげようか」

ここまで考えたところで、はっと気づいたのです。

「どこかとはどこだ、私自身もそれまで生きていられる確証はあるのか」と。

結局、私は彼女の死を考えたことによって、自分の死を感じる機会が与えられたのです。

 そうすると、自然と「では私はどう死ねばいいのだ」というふうに、自分の死に方を考えはじめます。

このように、自分の死をはっきりと意識することによって、

「ではそれまでにどう生きればいいのか」ということが自分の心の中で問われてくるのです。

つまり、死を身近に感じることによって、積極的に生きる方法が見えてくるのではないでしょうか。

これについては、戦争で前線から帰ってきた人や、大病をして死にかかった人の話を聞くのも、大変参考になります。』

少し長いですが、上記は『「人生百年私の工夫」日野原重明著 幻冬舎』から引用しました。


M氏の場合、戦争から収容所まで4年前後、死を身近に感じながら生き続けた。

注意深く自叙伝を読んでいくと、さまざまな場面を積極的に転換して考えていく考え方をあちこちに読み取ることができる。

そして、その後の生き方をきいても、その姿勢は貫かれている。

「自分」をもつひとつの生きるヒントに「死から生を感じ取る」といったことがある。

「死」というイメージ、感触、実感を、転換させて「生」を感じ取る喜びにつなげることができる人間の強さを感じる。







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最終更新日  2005年11月01日 09時42分02秒
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