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カテゴリ:M氏の像 相模原個展へむけて
待ち望んできた帰国は突然やってきて、すっかり仲良くなった看護婦さんたちと別れの挨拶をする機会もなかった。 しかし、彼女達は、出発の時刻にM氏を探してやってきた。 「あるいは彼女らが来てくれるかもしれない、という一縷(いちる)の望みはあった、 ・・・・・・・・・と思った途端(とたん)、大勢の見送りのソ連人の中からニーナさんとユーリヤの声が聞こえるではないか。 「ミヤモート、ドスベダーニア、 ドスベダーニア、ミヤモート」 (さようなら、さようなら)と。 わざわざお別れの握手をしに来てくれたのだ。 そして、彼女らの目に涙が虹のように光っているのが見えた そのときの喜び、感動は、到底言葉でいいつくせるものではなかった。 昭和二十四年八月のある日、ブラゴエチェンスクを出発した列車は一路ナホトカへ向けて走り出した・ ・・・・・・・・・・・・ わたしがコルホーズに行くときまったとき、私のコルホーズ行きを取り下げるべく病院長に嘆願してくれたという彼女らが、 交戦国の捕虜として、心ひそかに憎しみを抱いていたであろうにもかかわらず、 最後のお別れに、あの爽(さわ)やかな涙をもって見送りにきてくれたことは、 わたしにとっては生涯忘れられない感激であった。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ すでにナホトカの収容所には、シベリア各地からの帰国挺団がいくつも終結していた。 先着の挺団がナホトカの港を出港してゆく約半月ほどの期間を待って、九月十一日、いよいよわれわれの出港の番がきた。 ・・・・・・・・・・・・・・・・ 外洋に出た帰国船英彦丸のエンジンは快調だったが、二日目、三日目には日本本土を急襲した台風の影響で、 日本海が大荒れに荒れ、舷側にぶつかる波の音が吠え続けていた。 しかし、次の朝、船酔いの疲れから眼が醒めたときは、船は静止しているかのように静まり返っていた。 甲板に出てみると、船は鏡のような静かな舞鶴湾内を滑るように桟橋に向かっていた。 湾内の松林の下を、蛇の目傘をさして歩いている婦人の小さな姿が、一幅(いっぷく)の墨絵のように見えた。 しっとりと降っている小ぬか雨が、心にくいほどわたしの心を落ち着かせてくれた。 きれいだ!美しい! やはり日本の自然は素晴らしかった。」 (「野バラの実に」最終章) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2005年11月18日 10時11分50秒
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