カテゴリ:大人の遠足
茨城県下妻市宗道の県道357号線沿いにある宗任神社(むねとうじんじゃ) です。
二月の末に訪れてきました。 当社は、平安時代後期に陸奥国でおこった前九年の役(1051~61年)で源頼義の軍勢に敗れた安部宗任公を祀った神社です。 陸奥国、今の岩手県内陸部を地盤とした安倍宗任が、遠く離れたここ茨城県になぜ祀られているかというと、 縁起記によると 「天仁2年(1109)、阿部氏の臣松本七郎秀則・息八郎秀元が亡君宗任公の神託により旧臣二十余名と共に公着用の青龍の甲胄・遺物を奉じて奥羽の鳥海山の麓から当地(旧黒の里)来往して鎮齊した。鎮座するにあたって宗任公の霊は、「天の道、人の道を行くを宗とする意味で宗道と地名を改めれば、人はすこやかに、地は栄えるようになるであろう」と告げる。以来この地は宗道となった。」 と記されているそうです。 大きな樽に小さな祠の入った子宝神社と言うのが境内社です。 子宝には必要なものが置かれていましたね。 でも、この安倍氏の子孫、全国各地にあるそうで、我が軍を持つ安倍晋三内閣総理大臣も山口県長門市に流れていった安倍一族の子孫ともいわれているそうですから、子孫繁栄のために必要な子宝の御利益ありそうですね。 鎌倉時代には、豊田三十三郷幸嶋十二郷の総社として多くの人々から信仰され、地方の豪族小田氏治・豊田将基なども信仰していたそうです。さらには江戸時代、三代将軍家光公より代々、朱印地五石を与えられていたとう由緒のある神社でした。 そんなわけで、神社の朱印地を潤すための用水路もひかれていたようですね。 明日は、江連用水旧溝の紹介です。 【つづく】 人気ブログランキングへ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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