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最近、お見舞いに来てくれた人などの
「元気そう」 の言葉を聞くと複雑な気持ちになる 見舞いに来てもらっておいて複雑とは傲慢かも知れないが、説明すればこういうことである 確かに、他から見れば、足が動かないだけで、体の状態も良く、むしろ筋トレをしているので体つきは良くなっている 精神状態も良い が、自覚症状としては、腰骨から下の痺れ・痛みはずっとあるし、右目も視力としては役には立たない 勿論、歩けないし、排泄障害もまだ残っている 多発性硬化症という難病であることを考慮すれば、今度の再発が最後とも言い切れず、まだ症状が悪化する可能性もある なので、 「打つ手をうったら、後はなるようにしかならない」 と考えるようにはしているが、常にそうした精神状態を保つのも用意ではない で、 「元気そう」 と言われる、と 勿論、 「さっぱりやねえ」 とか 「冴えんねえ」 とかはお見舞いに来たら言いにくいとは思う が、「元気そう」な状態でいるのは、障害があり先の見えない多発性硬化症患者としては結構大変だと その大変さが、「元気」という語だけで語られているようで、切り捨てられているようで、病気を軽く見られているようで何やら複雑な気持ちである 何か、結局、「大変やね」と同情を求める愚痴のようになったが、とにかく複雑なのである お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
[入院(07.6~12 胸髄炎、下肢麻痺3・リハ)] カテゴリの最新記事
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