カテゴリ:人物紹介
今日は、伝説の天才数学者、森重文君のことについて書きましょう。何故私がこの世界的な天才数学者を森君と呼ぶかというと、彼は私の中学・高校の1年後輩だからだ。 名古屋、伏見のタオル卸問屋の長男として生まれた森君は中学から東海に入った。お姉さんが1人いて、本来森君が後を継がなければいけないわけだが、東海時代から数学の好きな森君をみて、ご両親はこの子には好きなことをやらせようと思ったという。”大学への数学”という受験雑誌があり、ことし創刊50周年を迎える。掲載記事は入試問題の解説だけにとどまらず、一流数学者によるエッセー、数学史などを載せ、巻末に骨のある添削問題を並べた「学力コンテスト」があった。この「学コン」で1年間ほぼ連続満点を続けた「伝説の人」となり、高校時代から全国の数学者から注目されていた。 そんな森君と初めて出会ったのは、私が高校2年のとき、囲碁が好きだった数学の先生を顧問にして、囲碁同好会を作ったとき、1年生の森君が入ってきた。その当時私はすでにアマチュアの初段か2段くらいあったので、森君には最初星目置かして打っていた。学年が違うので、数学の好きな変わった子という印象しかなかった。 高校2年のとき、東京へ第3回高校囲碁選手権に主将で出た。1回戦は早稲田大学高等学院高校との対戦、1勝1敗で主将の私の碁に勝負がかかった。この当時はまだ対局時計を使ってなかったので、時間がくると審判の判定になる。 審判長はその当時全盛期であった坂田栄男名人本因坊だった。判定で私の勝ちとなり、2回戦に勝ち進んだ。でも2回戦であっさり敗退した。 森君の話に戻そう。次に森君にあったのは、雪の降る京都であった。私は理論物理学に憧れて、東大受験に失敗した後、京大の理学部を受けにきて、京大病院の前の小さな旅館に泊まっていた。何とそこに森君がお母さんといるではないかあれ、どうしたんだというと同じ理学部を受けるという。東大入試が中止となり、史上最難関と言われた年だが、2人とも無事合格した。 大学に入っても半年ほど教養部は過激派学生で封鎖されていて、学生が好きな先生を呼んで自主講座をしていた。私はすぐに囲碁部に入って囲碁三昧の毎日だった。最初一乗寺の方に下宿、3年目から吉田の方に移った。森君の下宿も近くだった。ときどき遊びに行っては、囲碁やトランプ(神経衰弱)をしたり、ビリヤードやボーリングに誘いだすこともあった。下宿は数学の本で溢れており、いつも数学の問題を考えていた。 考えるときの森君の癖は頭の毛を指でくるくると巻きつけては離し、巻きつけては離しを繰り返す。さも頭の中から何かを取り出そうとしているように。 ときどき、お母さんが京都まで来ると私も呼んでくれて、美味しいものを食べさせてくれる。貧乏学生でアルバイトをしていたので、お金がなくなると生協の素うどん(当時30円だった)で飢えをしのいでいたので、これは有り難かった。 森君はとても気さくで付き合いがよかった。私はどちらかというと、勉強の邪魔をする悪友であったが、ビリヤード、ボーリングなども誘えば嫌がらずについてきてくれる。数学の問題を考えながらだけれど、・・・。ときどき、遊んでいても「わかった、わかった。」と言い出す。「何が解ったんだ」と言うと、「考えていた問題が解けた。」と言う。 そんな森君を見ていて、最初は解析概論を読もうとしたこともあったが、とてもこんな人たちについていけないと思って、ますます学問から遠ざかっていった。4回生の夏に女房と再会して、転向を決断した。 森君は大学3年のときに、米ハーバード大にいた広中平祐が母校へ来て行った臨時講義を聴き、それを克明にノートに取った。講義のあと、広中と定食屋に行き、広中が難しい例を簡単な絵にして説明するのを見て、代数幾何学という分野に進んでいった。 70年代に若干20歳代で「ハーツホーン予想」という世界中の数学者を悩ましていた難問を解き、そこから代数幾何における3次元の図形にはどんな種類のものがあるかを示した。90年にこの業績で数学のノーベル賞と言われるフィールズ賞の日本人で小平邦彦、広中平祐についで3人目の受賞者となった。 京大大学院を出たあと、ハーバードへ assistant professor として行き、帰ってきて名大理学部の助教授となった。このころ、結婚式に呼ばれて行ったら、東大、京大、東北大、名大など、全国のおもだった国立大学の数学の教授が一同に会していた。ヒェ~、えらくなり過ぎと思った。 現在は母校京大の数理科学研究所の教授となり、新幹線で名古屋から京都まで通っている。東海からは総理大臣(海部俊樹)、知事(神田正秋)も出ているが、学者と言えばこの人であろう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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森さんのおかげで人生が変わった人が居ました。
兵庫県で高校の数学の教員をしています。 森さんが入学するまでは、 その人が、助手に成る努力をしていたそうですが、 あまりにも天才の森さんを知って、 あきらめて、兵庫県に帰って数学の教員になったと、聞きました。 わかる人には、わかるんですねぇ。。。 自分とはレベルの違う学者だと、 感じたそうですよ。 (2006年12月28日 02時01分55秒)
頭のいい人の脳みそは最初から凡人と違うのですね。ドクターも囲碁に熱中していなかったら、また違った人生だったかも知れませんね。ノーベル賞なんか取るような。
頭の良さもやはり遺伝なんでしょう?努力すれば良いなんて世界じゃない。 (2006年12月28日 07時07分23秒)
小芋さんさん
>森さんのおかげで人生が変わった人が居ました。 >兵庫県で高校の数学の教員をしています。 >森さんが入学するまでは、 >その人が、助手に成る努力をしていたそうですが、 >あまりにも天才の森さんを知って、 >あきらめて、兵庫県に帰って数学の教員になったと、聞きました。 >わかる人には、わかるんですねぇ。。。 > >自分とはレベルの違う学者だと、 >感じたそうですよ。 ●そのとおりです。私も森君のお蔭で人生が変わり、楽しい毎日を過ごさせてもらってます。 (2006年12月28日 08時40分19秒)
tozyokoさん
>頭のいい人の脳みそは最初から凡人と違うのですね。ドクターも囲碁に熱中していなかったら、また違った人生だったかも知れませんね。ノーベル賞なんか取るような。 >頭の良さもやはり遺伝なんでしょう?努力すれば良いなんて世界じゃない。 ●いえ、遺伝ではありません。努力です。私は森君より碁は強かったし、神経衰弱でも負けたことがないんですよ。でも数学ではとても太刀打ちできません。数学者は毎日自分の組み立てた理論の上に新たな建物を建てて行くことを繰り返す努力により、素晴らしい高層建築物を建てるのです。 (2006年12月28日 08時48分38秒)
私は数学が苦手だからはぐれ物になったのかも知れないでも広中平祐教授、森重文教授の事は良く知っています、圭亮に何冊か数学の参考書買っていたから先生の親友とは驚きました先生は只者では無いですね、森さんの実家は最近タオル卸業を止めました、何故なら店の仕入先でしたから東海卒業生の話を良くされていました、
(2006年12月28日 09時50分49秒)
bokeabさん
>私は数学が苦手だからはぐれ物になったのかも知れないでも広中平祐教授、森重文教授の事は良く知っています、圭亮に何冊か数学の参考書買っていたから先生の親友とは驚きました先生は只者では無いですね、森さんの実家は最近タオル卸業を止めました ●そうですね。親父さんも亡くなったし、お母さんも年をとられたでしょう。後をつぐものが、数学者になってしまったわけですから、・・・。 何故なら店の仕入先でしたから東海卒業生の話を良くされていました、 ●私も宮古島、琵琶湖10年連続完走記念パーティーをしたとき、盛文商店で記念タオルを作って配りました。 ●圭亮君もどんな偉い人になるか楽しみですね。 (2006年12月28日 10時21分39秒)
こんにちは。
天才数学者さんの 頭の中をのぞいてみたいですね~ 見ても凡人の私には理解できない・・・か。 囲碁大会の時の写真の中に ドクターさんはいらっしゃいますか? でも奥様に再会したらどうして転向? わかんな~い。 (2006年12月28日 11時30分28秒)
白鳥80さん
転向を内心決めていた頃、再会したという順序だったと記憶しています。それを聞いて私はなんかおもしろそうと思いました。本人はなんと言うかな? (2006年12月28日 12時10分19秒)
白鳥80さん
>こんにちは。 >天才数学者さんの >頭の中をのぞいてみたいですね~ > >見ても凡人の私には理解できない・・・か。 ●私も森君の理論は理解できないんです。 >囲碁大会の時の写真の中に >ドクターさんはいらっしゃいますか? ●いませんよ~。10年以上前の写真しか載せません。よい男に想像して下さい。 >でも奥様に再会したらどうして転向? >わかんな~い。 ●女房のコメントで返事に変えさせていただきます。 (2006年12月28日 12時21分03秒)
楽しく読ませていただきました。出世物語、武勇伝大好きです。ご両親が子どもの才能を発見して、伸ばしてやるというのは出来そうで中々出来ません。
そのうち元一さんも知多の有名人として語られる時代が来るかもしれませんね。その時のキャッチフレーズは?一杯ありすぎますね。メールをチョコッと覗いていただけますか。 (2006年12月28日 13時02分57秒)
花菖蒲928さん
>楽しく読ませていただきました。出世物語、武勇伝大好きです。ご両親が子どもの才能を発見して、伸ばしてやるというのは出来そうで中々出来ません。 ●型にはまった優等生はたくさんいますが、優れた才能を開花させるには、親の理解が必要ですね。 >そのうち元一さんも知多の有名人として語られる時代が来るかもしれませんね。その時のキャッチフレーズは?一杯ありすぎますね。メールをチョコッと覗いていただけますか。 ●お返事書いておきました。 (2006年12月28日 13時11分16秒)
女房さん
>白鳥80さん > 転向を内心決めていた頃、再会したという順序だったと記憶しています。それを聞いて私はなんかおもしろそうと思いました。本人はなんと言うかな? ----- ここに書かせていただいてよろしいのでしょうか? 今日は。はじめまして。 ドクターさんのブログ楽しませていただいています。 奥様のこと時々お書きになっていらっしゃいますので、よく存じ上げているような気持ちを持っています。 お二人には当てられてますね~ どうして転向なさったのか、お返事うまくかわされてしまいました。 今後ともよろしくお願いしますね。 (2006年12月28日 13時19分10秒)
こんにちは、ドクターT9323様。
フィールズ賞受賞の森教授のひととなりが分かる、貴重なブログですね。楽しく読まさせて頂きました。数学関係は読んでも分からない文章が多いので、私のような素人でも分かる文章は貴重です。 「頭の毛を指でくるくると巻きつけて」の部分は、似たような人をときどき見かけますが、日本人で国内研究でフィールズ賞となると、森氏は凄すぎです。 私は出版社で本の編集をしております。 ちなみに私の母校は、ドクターT9323さんが第3回高校囲碁選手権の初戦で破った早大高等学院です。 (2009年08月20日 18時22分53秒)
じゅんさん
>こんにちは、ドクターT9323様。 >フィールズ賞受賞の森教授のひととなりが分かる、貴重なブログですね。楽しく読まさせて頂きました。数学関係は読んでも分からない文章が多いので、私のような素人でも分かる文章は貴重です。 >「頭の毛を指でくるくると巻きつけて」の部分は、似たような人をときどき見かけますが、日本人で国内研究でフィールズ賞となると、森氏は凄すぎです。 >私は出版社で本の編集をしております。 >ちなみに私の母校は、ドクターT9323さんが第3回高校囲碁選手権の初戦で破った早大高等学院です。 ●じゅんさん初めまして。最初はフォト蔵を使ってなかったので、容量がいっぱいになって古い日記の写真は消しながら書いてました。写真のないブログをよく読んで下さいました。 (2009年08月20日 19時02分35秒)
私は代数幾何学を学んでいる未熟者です。
通っている大学院の講義で、今ちょうど、錐定理とかextremal rayなどに触れているところなのですが、自分のような凡人には難解すぎて理解できません。 森先生とはどんなお方なのか興味を持って調べていたらこの記事にたどり着きました。 森先生のエピソード、とても面白かったです。 ありがとうございました。 (2013年11月16日 19時28分27秒)
Seidelさん
>私は代数幾何学を学んでいる未熟者です。 >通っている大学院の講義で、今ちょうど、錐定理とかextremal rayなどに触れているところなのですが、自分のような凡人には難解すぎて理解できません。 > >森先生とはどんなお方なのか興味を持って調べていたらこの記事にたどり着きました。 >森先生のエピソード、とても面白かったです。 >ありがとうございました。 ●最近、名古屋で会いました。昔と変わりませんでしたよ。一度蒲郡で講演をお願いしようと今交渉中です。 (2013年11月17日 09時27分07秒) |
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