名大医学部を卒業して、最初に名鉄病院で研修しました。今では卒後2年間の臨床研修が義務付けられていますが、その当時から名大では名大方式と呼ばれる自主ローテート研修をしていました。しかし、私は5年回り道をしていたので、早く実地臨床を身につけたいと思い、最初から外科へフィックスして研修をしました。今回は1979年4月~1983年8月までの4年4か月の変化を記録しておきます。
名大医学部卒業アルバムより (3) posted by (C)ドクターT
名大に入る直前に学生結婚(女房も愛知県立芸大の大学院生でした)し、卒業した時には長男鉄平と長女さくらが生まれていました。この頃は囲碁を続けていて全くスポーツはしていませんでした。
菅島へ(1981年) (2) posted by (C)ドクターT
1980年に2男純平が生まれました。名鉄病院時代によく三重県の菅島へ魚を食べに家族で行きました。
名鉄病院時代(1981年) (2) posted by (C)ドクターT
名鉄病院時代(1981年) (1) posted by (C)ドクターT
そして、付き合いでテニスやゴルフも始めましたが、大学時代になまった体ではなかなかついていけません。
鉄平スイミング(1980.11) posted by (C)ドクターT
私は海の近くで育ったので、平泳ぎは顔を挙げてどれだけでも泳げましたが、プールがない時代に育ったので、クロールは出来ませんでした。子供たちは水泳が出来るようにと3歳の誕生日を迎えると同時にスイミングスクールに通わせました。今のように何処にでもスイミングがある時代ではありませんでしたので、その頃一番近いスイミングは名古屋を超えて岩倉まで通わなければいけませんでした。鉄平も最初の頃は泣くのを我慢しながら通っていました。
そのうちに名鉄が神宮前にスイミングスクールをオープンしましたので、私も通勤途中に寄ることが出来ますので、まずスイミングスクールに通って体を鍛えることにしました。
名鉄病院時代( 1982年) (4) posted by (C)ドクターT
この頃どういう心境の変化からか鬚をはやしました。
名鉄病院時代( 1982年) (2) posted by (C)ドクターT
スイミングに通った効果か、少しずつすっきりして来ました。
名鉄病院時代( 1982年) (1) posted by (C)ドクターT
怪しげな雰囲気の写真も出て来ました。
哲朗君結婚式 (1) posted by (C)ドクターT
この頃に、8つ下の弟、哲朗君の結婚式がありました。
ダイビングを習う(1982年) (1) posted by (C)ドクターT
そして、神宮前の名鉄スイミングにダイビングスクールが併設されましたので、その第1期生としてダイビングを習いました。卒業試験は5mのダイビング用プールの底に機材が置いてあって、素潜りで底まで行ってそれを装着して上がってくると言うものでした。この時に口ひげがあると隙間から水が入ってくるので、せっかく生やした鬚を剃ってしまいました。
ダイビングを習う(1982年) (2) posted by (C)ドクターT
南知多ビーチランドへ行って、イルカのプールで潜る実習もありました。
名鉄病院スキーツアー(1982年) posted by (C)ドクターT
病院のスキーツアーにも何回か参加しました。この時はさくらを連れて行きましたが、リフトに乗って上まで連れて行き、どんどん先に滑って降りてほったらかしにされて、それがトラウマになってさくらはスキーをしなくなりました。
名鉄病院時代(1982年) posted by (C)ドクターT
スイミングを始めて2年、だいぶん身体が軽くなり、女の子にもモテるようになりました。(続く)