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カテゴリ:旅行
今年の初詣はどこへ行かれましたか?僕は実家から車で30分のところにある『北畠神社』に行ってきました。この神社は三重県津市美杉町(旧美杉村)にあり、のどかな田園風景の中に建てられています。南北朝時代の公家、北畠氏の住居跡に建てられているために、当時のお屋敷の面影を残しています。例えば、神社なのに、大変美しい武将庭園を鑑賞することが出来ます。池泉観賞様式と呼ばれていて、中央部には池があり、その池は「米字池」と呼ばれていて複雑に屈曲しているのが特徴です。武将庭園でありながら、樹齢400年以上の杉の大木が立ち並んでいる光景は神社の風格にふさわしいほどです。
この庭園は南北朝時代(1336-1392)の代表的な造りになっていて、日本三大武将庭園のうちの1つ、そして日本名園五十選のうちの1つに選ばれています。この庭園に関する詳細は僕が語るよりもホームページをご覧になった方が、より正確に情報が伝わりますので、詳細は省かせていただきます。 http://homepage1.nifty.com/kitabatake/kitabatake16.html さて、この神社には後に伊勢の戦国大名ともなった一族、北畠氏(北畠顕能公・北畠親房公・北畠顯家公)が祀られています。建武中興十五社のうちの1社で、南北朝時代に建武の新政に尽力した南朝側の皇族・武将などを主祭神とする神社です。と言うことで、NHK大河ドラマ「太平記」(1991年)の舞台のひとつにもなりました。 話が変わりますが、北畠氏と言えば『白米城』を思い出します。昔、小学生のときに、遠足でこの城跡である小高い山に登ったことがあります。この城は北畠氏の居城で、正式な名称は阿坂城と言います。南北朝時代に、敵軍の足利軍が山の麓まで攻めてきて、城まで生活に必要な水を供給できないように『水断ち』をしました。困った北畠氏はまだ水が豊富にあると思わせるために、米を馬の背に流して、あたかも馬を洗っているように見せかけました。これを山の麓から見ていた足利軍が、「まだあんなに水があるではないか~。」っと言って、包囲を諦めて退散したと言われています。それ以来、白米城と呼ばれています。 さて、北畠神社に話を戻しましょう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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