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会長☆マサオくんのブログ

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2021年09月15日
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カテゴリ:文化

長野県出身の歌人としては、諏訪市生まれの島木赤彦(明治後期~大正期)と旧和田村生まれの窪田空穂(明治~昭和中期)が有名ではないでしょうか。

島木赤彦の作は、「信濃路はいつ春にならん夕づく日入りてしまらく黄なる空の色」があります。

また窪田空穂の作は、「ならし信濃の国を行き行かばありしながらの母見るらむか」という歌があります。

この空穂の歌は、生前がシルバー学級に通って書道を習っていた時、色紙に書き残した歌です。「」はご詠歌に用いるチリンチリンと鳴る「かね」を思い起こします。巡礼者が鉦を持って、「行き行かば」・・・どんどん進んでいけば、「ありしながら」・・・以前のまま、生きていた時のまま母に会うことができるだろうか。巡礼となって信濃の故郷を巡り巡ったならば、在り日のままの母に会うことができるだろうか、との歌だそうです。

空穂の母は、農家の主婦として土地と共に暮らした人、土地を離れたのは旅として東京見物の一度切りだったそうです。「亡くなっても信濃を離れない人」と空穂は思っていたそうです。昔の農家の人だったんですね。この歌を色紙に書いた母の気持ちに思いを巡らすと、私の記憶にも残る祖母が思われます。そして今は私が母のことが偲ばれます。

謡曲」の最後の句、「この光陰に誘われて、月の都に、入りたもうよそおいあら名残惜しの、面影や名残惜しの面影」ともあります。更に最近習いたての謡曲「梅枝」の最後、「思えば古へを、語るはなおも執心ぞ」いろいろな言葉がありますね。


生前、母が書いた窪田空穂の歌です。






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Last updated  2021年09月15日 10時42分05秒
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