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2009.04.06
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オフィシャルなHPを作成しようかなと考えた。

もちろん、会社としてのPRを考えて
オフィシャルHPの位置づけだ。

するとこの楽天は
裏HPと言うことになるのかな?

コミュニケーションをテーマに仕事をしている自身を振りかえると
どうしても、子供時代の、いくつかの出来事から
触れていくことになる。

自分自身で答える形で書き出してみる。

Q:今の仕事に至る原点はどこにあるのだろう?

これまでやってきた仕事は、
気がつけば全てコミュニケーションに関することだった。

人への関心が、強い。
「仕事をするとき、あなたは、嫌な仕事でも好きな人と一緒だとやれますか?
それとも、すきな仕事だったら、嫌な人と一緒でもかまいませんか?」

ときかれたら、

嫌だなと思う仕事、たとえば
単調な流れ作業や、経理的な仕事はとても一人きりではやれません

その代わり、そのとき、一緒にやろうという人が
好きな人だったり、尊敬する人だと、
そういう仕事でも、続けることができるという経験がある。
一方、好きな仕事、たとえば、
朗読やナレーション、コーチング、ファシリテーション、
アイデアをだす、イベントを企画するなどいろいろですが
好きなことであれば、ちょっと苦手な人がいても
何とかクリアできるわけです。

しかし、限度がある。
好きな人の存在は、それだけ、苦手を克服する手立てにもあります。
しかし、好きな仕事で、嫌いな人を克服することは、難しい。
キライな仕事に、キライな人がいたら、誰でも継続はむりですねえ。

ぼくのこれまでは、良好な人間関係があればこそ
色々な自分の可能性を引っ張り出していただいてきたと思うのです。

社会人としてのスタートは、
北海道の放送局のアナウンサー
そして、3年後に今度は広告会社の営業ディレクター
定年前の早期退職後は、コーチングとファシリテーションを学び
この3本は、僕のいまの仕事のベース3本柱になっているのです。

思い出してみると、
小学校5年のとき、テレビのクイズ番組に、視聴者応募したところ
当時は小学生の申し込みは珍しいと、するすると出演が叶い
しかも、クイズの問題に勝ち抜いて、
4週連続でテレビに出演し続けたことがあります。

クイズ問題は、小学校編から大学院編までの段階的構成で
だんだん問題が難しくなっていくのです。
最後の「大学院編」の問題が、残念ながらできない問題で、
準優勝となってしまいました。

ところがそれからすぐ、当時発刊された直後の
「少年サンデー」の編集部の目に留まることになり
大人も負けるこどもの博士という記事タイトルのもと、
”昆虫博士鮫島クン”として紹介されたのです。

その後、サンデーの表紙に、
月1回程度のペースで登場し、
中学1年になるまでの1年半ほど続きました。

今年「少年サンデー」創刊50周年だそうですが、
1959年、僕が12歳の時のことです。

そのときの表紙出演の雑誌は、
10数冊あって、今でも雑誌ごととってありますよ。

先日、少年サンデーが創刊50周年記念の広告を、
朝日新聞に大きく掲載したそうですが、
歴代のサンデーの表紙が掲載されていて、
王監督と一緒に写っている私の表紙が出ていたそうです。
小学校6年生の時の一こまです。

少年サンデーの記事がきっかけで
当時、開局したばかりのNETテレビ、いまのテレビ朝日の番組に
出演する話が舞い込みました。
当時文化勲章を頂いた丹羽保次郎という東京電気大学の学長先生のお宅へ
少年記者の取材としてお訪ねする役割りでした。
当時発達し始めた、電送写真の原理をうかがうインタビューで、
今思うとFAXの原理のお話だったわけです。

その番組の、外部委託担当ディレクターだった方が
当時、つみき座という児童劇団を主宰されていた平松仙吉という方です。
その後平松さんの「つみき座」という劇団にお誘いを受けて、
中学1年の夏休み、六本木の俳優座劇場で、一週間、それから銀座の
松坂屋ホールで3日間、延べ10回の舞台公演などやったのです。

まだ声変わりの前でした。
僕が演じたのは、「日本のピーターパン」という、
平松仙吉先生のオリジナル脚本のお芝居で、
そのピーターの役を演じたのです。

客席から、ピーターやっているのは女の子かな?などという声が
舞台に立っている私の耳に聞こえてきて
「僕は正真正銘の男の子です」、と
公演のあとのカーテンコールで、
舞台から大きな声で発言し、あとから平松先生に、
「あれは面白かった、君の気性の激しさ強さがでているねえ」と、
エピソードとしてよく紹介されました。

ちょうど丸山明宏が、シスターボーイと言われ、
”女のような男”という当時の風潮への嫌悪感が
どこかにあったんでしょうねえ。
丸山明宏っていまの美輪明宏さんのことですよ。

さてこのピーターパンがきっかけで
当時広告会社の電通の担当者がこの舞台をみていたようです。
新しく始まる、電通初のテレビ映画作品の
主演少年をさがしている。
初のテレビドラマの制作で、
電通も力が入っているんでぜひと、
子供向けアクションドラマへの出演依頼があったのです。

タイトルは「熱血カクタス」
「日真名氏飛び出す」という、人気ドラマのスタッフを電通が擁して、
原作脚本は、映画評論で著名な双葉十三郎氏、
脚本は菅沼定憲さんという若手のテレビの構成作家。
菅沼さんはなんと僕の小学校中学の大親友のクラスメートのお兄さんという方でもあり、
その関係の偶然は、今考えても不思議なつながりでした。

菅沼さんは、その後、「11PM」の構成台本作家として活躍され
つい最近は「夫婦二人でガンになって」という
闘病記を出版、話題になりました。

熱血カクタスというのは、
カクタスとはメキシコで、サボテンのこと
主演の主人公がカクタスとよばれる、正義のヒーローで
それは、柴田秀勝さんという
当時は、23歳の若手テレビ俳優さん。
そういえば、助監督の助監督、つまりサードと言われる
一番下働きの現場監督が、その後、ピンク映画の巨匠あるいは
全共闘の支持者?で超有名になる
若松孝二氏だったなんてびっくりでしょ。
そんなエピソードが、いくつかあったわけです。

結局、電通の要請を受けて、
中学校1年の時に、テレビ映画に半年間レギュラーで準主演クラスとして
出演しました。
このとき、芝居をプロとしてやっている方たちの中で、
子供ながら、プロの方の仕事振りを体験、実地に見たというのが
人への関心、人間観察をしはじめた原点だったのかとも思います。

芝居の経験は以降、
高校生や、大学生のときにも
平松さんの脚本に招かれ、
つみき座の舞台に何度か立ったこともあります。

こんな自らの経験を振り返ると
子供のころに、
ひとつのことに熱中している大人をみるきかいがあると
子供は、大きな刺激を受けていく。
そして、そういう奇特な環境での人間関係は、
限えいない展開に結びつくのでは
と思うわけです。

何かに徹している人は、新たな人を包み込んで
融合させ、その後に、核爆発のような新しい関係や出来事を生みだすのではと
確信するのです。

自分が接する、全ての人が良好な人間関係を構築できないか
そのために、自分がお手伝いすることがあるとすると、
それが自分の仕事ではないか
と思うに至ったのです。

若い頃から、友達の中で男と女の友人たちを
この二人は合いそうだなどと思うと、おせっかいを焼いていましたが
それが原点かなあ。

自分自身の人間関係がまず良好であることが基本ではありますね。

コーチングは自己基盤形成の過程で
自己発見を促し
ひとの話を聞くことの価値は、他者(相手)を発見、
そしてファシリテーションは、その先の複数の他者、つまり社会への開かれた目
を再認識させてくれたと思います。

そしてマーケティングは、考えることの重要性
問題解決思考のプロセスは
まさに企業への戦略提案そのものの実践でした。
それは当然得意先へのプレゼンテーションとして表現スキルの技術研鑽
発揮をうながされたことになります。

今、コーチとしての時間
ファシリテーションをする時、
企業や大学で講座や研修をするとき
それらの経験はみな、私自身の要素となって
鮫島宗哉ならではの個性と技能になっていると感じています。

自己撞着の文章、
矛盾する書き飛ばしですが
お許しください。

どのくらいの人数の方がこのブログを見てくださっているのか
興味を改めて持ったので
自己開示をしてしまいました。

もしかしたら
削除したくなるかもしれませんけど。

長文失礼しました。





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最終更新日  2009.04.09 12:51:16
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Re:昔の話をしていいかなあ。(04/06)   sumairu1962。 さん
ふかーいmusamejiコーチの歴史をひもといていただき、そうだったんだーと知ることが出来ました。

このブログがあったからこそ、今日の私も存在しているのだと思います。

私のテレビ出演の縁をつないで頂いたり、ファシリテーションを伝えていただいたり、と感謝は尽きません。

縁の糸はこれからどこへ伸びていくのでしょう・・・

(2009.04.06 18:40:02)

Re:昔の話をしていいかなあ。(04/06)   なおなおなお2006 さん
鮫島さんのこれまでのお話を興味深く拝読いたしました。子供時代から人前で活躍されていたのですね。私などは会うこともできないような、たくさんのいろいろな人を見てこられたのでしょう・・・想像が膨らみます。
「良好な人間関係」は人が社会で生きていく上で本当に大切だと思います。でも、それが難しいからいろいろな問題が起きるのだと思います。これからも鮫島さんのコーチングやファシリテーションで多くの人が救われるのではないかと思います。
オフィシャルなHPもできるのでしょうか?楽しみにしております。

(2009.04.07 09:54:05)

Re:昔の話をしていいかなあ。(04/06)   ヴァシリ さん
 改めて、あることをPRするには、それに携わる人のストーリー性、共感性が有効であることを再認識いたしました。今回ほど鮫島さんのなさっているコーチング、ファシリテーションに対して、上手に書かれたPR文書はありません。これを活用されての今後の健闘をお祈りいたします。

(2009.04.10 13:30:46)

Re:昔の話をしていいかなあ。(04/06)   河本紫葉 さん
ひょんな事から、鮫島様の文章を拝読して、お会いした事もないのに大変懐しく、思わずコメントを書かせて頂きます。
私は15歳の時、平松仙吉先生の「青の魔法」という芝居のジャンヌ・ダルクの少女時代をさせて頂きました。
私の時は「つみき座」から、「パルチ座」になった時ですから、残念ながら鮫島様とはすれ違いのようですが、私の一番多感な時に出会った平松先生を思い出させて頂きました。
ありがとうございます。 (2021.03.31 01:13:13)


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