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里見の歴史は前期後期となります。地に足のついた後期里見氏の歴史を、一緒に追いかけてみましょう。
いざ、出陣。 里見義弘ifストーリー 里見義弘の後継者問題。 一般説によると、鎌倉から迎えた正室・青岳尼は、早世したことになっています。そのため弟にあたる義頼を養子にしました。その後、古河公方家から継室を迎え、その間に梅王丸という子を設けます。 養子か、実子か。 その決定をしないまま義弘は病没し、里見家は後継者争いの泥沼に陥ります。 佐貫城の梅王丸には、上総の勢力がバックにつきました。 岡本城の義頼には、安房の勢力がバックにつきました。 その背景には、小弓公方と古河公方の対立があったとされます。 実は、異説によると、義頼は青岳尼の子ではないかともされています。そうだとすると、小弓公方と古河公方の勢力対立が頷けるのですが、どうでしょうね。 このあたりは大胆な仮説も出せますし、保守的な考えも出せます。 仮にifを記してみましょうか? これは、一般論ではありませんので、あしからず。 興禅寺(千葉県南房総市)にある青岳尼の供養塔には天正4年(1576)と明記されていることから、病弱であり永禄年間の早い段階に病死したとされる通説が一致しないとわかります。泉慶院にも供養塔がありますが、不一致。通説を維持しないと、実は複雑な男女問題に往きついてしまうことを、夢酔は懸念しています。 実は、天正末頃に里見義弘は継室を古河公方家から迎えています。 「わたしという正室を差し置いて、ムキー!」 女の戦いは果たして存在したのでしょうか。その延長戦に、後継者争いがあったとしたら……。ここで、里見義頼が青岳尼の子という仮定をしたら、その後の争乱も頷けるんですよね。 通説を覆す大きな実証があれば、きっとこのあたりも、ふたりの女性に挟まれて右往左往する、やけに人間臭い義弘が描けることでしょう。もし、こういう図式になっていたら、確かに後継者の指名をサボタージュしたくなる。逃げ出したくなっても、仕方ないですね。 後継者のことで失敗すると、戦国大名は大きな内輪揉めをするか内部崩壊していくものです。きちんと 「ユー、行っちゃいな」 てな決断をしなくてはいけません。 あの無敵武田軍団も、ある意味、後継者問題で内部崩壊してしまいました。上杉家もカリスマ謙信の急死で、御家内乱になってしまいました。グダグダでも、きちんと指名したから、伊達家は政宗で結束しています。 里見家の内乱は不思議なもので、子供たちは殺しあわず代弁者たちの闘争になっています。結果的に義頼が勝って、梅王丸は身柄幽閉に留まり、そののち僧体となって終生里見に尽くしています。むしろ、梅王丸の母親こそ敵対の元凶とされ、命を落としております。義頼が青岳尼の子という仮定をしたら、お互い私的な憎悪が生まれても納得できる気がしますね。 このifな関係。 通説を論破する実証の登場を、ただただお待ちするのみです。 ちなみに。 夢酔は臆病なので、通説に乗っかって、房州日日新聞連載作品「春の國」を描きました。 ◆ ◆ ◆ 戦国武将里見氏のNHK大河ドラマ放映を目指す「里見氏大河ドラマ実行委員会」が組織されています。里見氏終焉の地である鳥取県倉吉市、里見氏発祥の地の群馬県高崎市、そして館山市で、NHK側にドラマ化を働きかける運動を行っております。 「2014年に里見氏の物語をNHK大河ドラマで!」 皆さまの温かいご声援をお願いします。 にほんブログ村 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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