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散文小径

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2011.08.01
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 八犬伝じゃない里見の歴史、みんなはどこまで知ってるかな?
 さあ、一緒に追いかけてみましょう。
 時は戦国ただなかへ、いざ、出陣。


 甲佐同盟


 前回の里見義頼雄飛録のなかに登場した、聞き慣れない言葉。覚えておりますか?
 ちょっと引用するので、思い出してください。

 里見家統一を果たした天正8年、甲斐国の武田勝頼が後北条氏に対抗するため常陸国佐竹義重と同盟します。これを甲佐同盟といいます。佐竹義重は義頼に対して同盟の参加をよびかけ、翌天正9年、里見氏と武田氏の同名が成立するのです。これに佐竹氏・小弓公方の足利頼淳との同盟を加え、対後北条氏の同盟が成立します。

 思い出しました?
 この「甲佐同盟」の呼称は、「甲佐同盟に関する一考察-武田勝頼期を対象として『年報三田中世史研究』7号、2000年-」により、丸島和洋氏(大阪府生・慶應義塾大学文学部非常勤講師・専門は、戦国大名論および史料論)が提唱したものです。丸島和洋氏は同盟締結の際に交渉を務めている佐竹配下の梶原政景が文書内で武田・佐竹を「甲・佐」と呼称していることから、このように命名しています。
 さて、寄り道しないで、戻りましょう。

 甲佐同盟の交渉開始時期は、初見資料として天正7年(1579年)9月6日付蘆名氏家臣金上盛備・富田氏実宛の佐竹一門佐竹義久書状が挙げられます。
 武田側の使者は北条氏照の妨害を受けぬよう、北国筋で常陸との往来を行っていたようです。そのための便宜を、佐竹義久は蘆名氏に要請していました。天正9年(1581年)6月時期、武田勝頼は真田昌幸に佐竹・蘆名両氏との相談を命じています。
 天正8年6月、佐竹方から勝頼に対し上野新田表への出兵要請がされています。これに対し同年9月に勝頼は上野への出兵を実行しております。甲佐同盟はこの時点で機能していたようです。これは戦国史の記録でも確認されますから、何らかの往来の事実はあったのでしょう。
 この同盟の究極は、反北条というテーマです。
 これがバックボーンであり、これなくして成立しません。

 天正9年、佐竹氏は甲佐同盟を背景に里見氏に対し、武田氏との同盟をもちかけています。もともと日蓮宗というパイプで信玄存命中に房甲同盟は結んだことがある里見氏ですが、義頼が家中統一したとき、北条氏は後ろ盾でした。
 この年6月に武田方の甘利昌忠が使者として安房へ派遣されています。佐竹氏から案内役として三橋宗玄が派遣されましたが、昌忠は事情により里見領に入国できず、実際の同盟交渉は三橋宗玄により交渉は行われました。この甘利昌忠は生存が不確定で、ひょっとしたら武田信豊または跡部勝資とも考えられます。
 とまれ同年10月頃、武田勝頼と里見義頼との間で、同盟関係が成立している状況が伺えます。北条との信よりも、佐竹や武田との信が大きいと判断したのでしょう。
 ちょっとした浪漫の寄り道をしましょう。
 この時期、武田勝頼は織田信長との和睦を試みています。甲江和与という外交交渉ですね。
武田は信玄亡きあとは信長にボコボコという定説があります。みんな、教科書もそれで教えられていませんか?甲江和与の展開に際して、天正3年より信長と外交関係がある佐竹氏が仲介したとか。勝頼は佐竹義重を通じて、織田信長との和睦を試みていたと考えられます。メリットデメリットを重んじる信長は、これをどう考えたことでしょう。近年、勝頼は暗愚ではないことが学者筋からも発せられています。
 一方で、北条氏政は信長へ服属交渉を行っています。信長はこれを受諾していますが、ひょっとして、この甲江和与への対抗心でしょうかね。
 勝頼は武田家の人質である織田坊丸(信房)を返還し、信長養女遠山夫人の出子である嫡男信勝に家督を譲る意志を示します。教科書では、これを勝頼の弱気と捉えており、かつ、家臣に軽んじられていると長年評してきました。
 和睦として一定の進捗という見方は、新しいかしらん。
 とまれ、これは仮定にて、ここまでにしましょう。

 里見氏はこの甲佐同盟により、結局、北条と切れるきっかけを手にしました。
 その反面、完全に北条と切れた訳ではなさそうです。この時期、江戸湾で大きな海戦をしたという記述資料をあまり見ません。ということは、上手な慣れ合いをしていたのでしょうか。
 里見義頼の器が、ここからも垣間見えます。



 10月1・2日は南総里見まつりです。
 夢酔もぜひ、今年は伺いたいと考えております。皆さんとお会いできたら、いいですね。
 このお祭りは、恥ずかしながら一度も足を運んだことがございません。
 ゆえに、心より楽しみにしております。


                  ◆  ◆  ◆



 戦国武将里見氏のNHK大河ドラマ放映を目指す「里見氏大河ドラマ実行委員会」が組織されています。里見氏終焉の地である鳥取県倉吉市、里見氏発祥の地の群馬県高崎市、そして館山市で、NHK側にドラマ化を働きかける運動を行っております。
「2014年に里見氏の物語をNHK大河ドラマで!」
 皆さまの温かいご声援をお願いします。

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Last updated  2011.08.01 06:53:43
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作楽@ Re:随筆・あっそう!里見発見伝(02/18) 引っ越しされるんですね!了解しました。
としぞう@ はじめまして うちも楽天からアメーバに変わりました。 …
夢酔 藤山@ Re:奥平家と大久保家(02/06) いっちぃさん 仰せの通りです。 この…
いっちぃ@ 奥平家と大久保家 奥平信昌の娘が大久保忠常(忠隣の嫡男)に…
夢酔 藤山@ こんばんは 10月1日の全国里見一族交流会・館山大会に…
キミジイ@ 御支援の協力 夢酔 藤山様 署名活動はどの位の人数が…
いっちぃ@ 万喜城下より ご無沙汰しておりますm(__)m 近年の成果か…
史進@ おめでたいですね こんばんは、藤山先生 稲村城と岡本城が…
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