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八犬伝じゃない里見の歴史、みんなはどこまで知ってるかな?
さあ、一緒に追いかけてみましょう。 時は戦国ただなかへ、いざ、出陣。 今川氏真との交誼 今川氏真ほど、歴史の酷評に曝される人物も珍しい。 これは、明智光秀・石田三成のような、後の権力者に敵対したことによる辱めと異なり、自身の立ち振舞いひとつで評されるといった、損な生き方を貫いた結果といえる。 このような酷評にも耐え忍ぶ、不思議な精神力、忍耐力。 そんな氏真の数奇な人生は、父・義元が、桶狭間の戦いで織田信長に討たれたことから、狂々(くるくる)と廻り出した。 駿河・遠江二国を有し、三河を支配下に組入れ、北条・武田をも一目置く存在。足利に血統なくば吉良が、吉良に血統なくば今川が、といわれた室町将軍家御由緒衆。それが、今川義元だった。公家かぶれで武威に疎いという酷評も後世の講談が生んだ風聞で、文武とも強大な実力を持った義元。その嫡男である氏真が、金持ちぼんぼん風に酷評されるのも、無責任な後世の戯言に過ぎない。 今川家が国を失い、有力公家や武将の庇護のもと、風雅な芸を糧に渡り歩いていた感が、記録の類より窺い知れる。 氏真は天正年間の末期まで、公家のもとにいながらも、徳川家康や北条氏政とも通じていたとされる。北条家は早雲以来、遠い縁戚関係にある。氏真の正室は氏政の妹だ。そして、家康はかつての臣下。戦国の下剋上真っ只中とはいえ、良心の呵責というものくらいあるだろう。 里見氏と今川氏真との接点は、残念ながらよく解らないし、皆無といってもいいだろう。 ただ、一通の書状が残されている。 その中に、今川氏真のことが触れられている。内容もとりとめなく、ひょっとして、面白みのない一通かも知れない。だからといって、これを失笑に伏せないのが、戦国である。 書状を一瞥してみよう。 雖未通音問候、今川殿ヘ申達候条、令啓候、 向後貴城当国無二可申合候間、 異于他御入魂、所希候、委細正淡可申候、 恐々謹言、 八月四日 義頼(花押) 堀之内殿 人々御中 「堀之内殿自房州 人々御中」 今川氏真と里見氏をかすかに接点とするのは、手持ちの資料の限り、これ一件のみです。 夢酔が草稿を作成した折、この文書が気になって仕方なかったんです。歴史の裏舞台では、里見と今川が関係しているのでは……。そうなると、どんな設定にすれば、双方の利害が一致するのだろう。 創作です。 想像です。 こういう時間が、実はいちばん楽しかったりします。 里見・今川・北条。三者の思惑は、秀吉の小田原出兵へ向けて、緩やかに積み上がるよう描きました。でも、創作ですからね。 今川氏真は僧籍に入り、名を変えております。 ここの部分は、史実の面です。 今川家は徳川の時代になると、吉良家同様、幕府の高家として存続します。しかし、明治の頃、最後の今川家当主が絶え、源氏の名門も断絶するのであります。 このような、講談まがいな史実との冷や冷やな綱渡り。時代小説を描く人間にとっては、至福の一瞬かも知れません。 夢酔は、そんな心地で、縦糸横糸の筋書きを手繰りながら、アヤトリ気分で楽しんだりしてしまうのです。変な奴~。 ◆ ◆ ◆ 電子署名がございませんので、アナログですが、添付されている署名用紙をプリントアウトして、周知署名をお願いします。 集まりました署名はお手数ですが、下記までお送り下さい。 房総里見会事務長 鈴木惠弘 〒294-0027 千葉県館山市西長田72 きちんとした説明文や部数は、事務長までお問い合せ下さい。 夢酔より親切に教えてくださる筈です。 電子署名があると、便利ですねぇ…… 戦国武将里見氏のNHK大河ドラマ放映を目指す「里見氏大河ドラマ実行委員会」が組織されています。里見氏終焉の地である鳥取県倉吉市、里見氏発祥の地の群馬県高崎市、そして館山市で、NHK側にドラマ化を働きかける運動を行っております。 「2014年に里見氏の物語をNHK大河ドラマで!」 皆さまの温かいご声援をお願いします。 にほんブログ村 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2011.10.12 06:36:19
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