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八犬伝じゃない里見の歴史、みんなはどこまで知ってるかな?
さあ、一緒に追いかけてみましょう。 時は戦国ただなかへ、いざ、出陣。 千利休 先の里見義康正室の項で、ひとりの茶頭に触れました。 千宗易利休居士、覚えておいででしょうか。 特に説明するまでもありませんが、千利休は安土桃山時代を代表する人物のひとりで、茶道を嗜む方なら、誰でも必ず耳にする名前です。茶を政治に用いる信長の着想により、利休は飛躍的に茶を極めて行きます。信長の死後は秀吉の茶頭となり、絶大な権勢を誇示したと教科書には書いてあるのではありませんか?そのため秀吉の逆鱗に触れ、処刑されたのだと。 利休は贅を凝らすことを慎む人物です。黄金の茶室に嫌悪感すら覚える人物でした。秀吉との反目も、一面だけから判断できない仕儀があったのだろうと推察します。 利休は茶人であると同時に、もとは堺の商人でした。 そのルーツを追っていくと、ある系譜に辿り着くのです。利休個人は畿内を中心に活躍してますが、系譜の先は……上州へと至ることがわかります。 新田の家は八幡太郎源義家の流れを汲む源氏の名門。世が世なら、足利家の兄であることからその上位に立つことも適ったであろう家柄です。南北朝の折に後醍醐天皇に尽くした新田義貞は、この系譜を代表する人物です。新田の系譜より派生し、上州里見郷で興った一族が里見氏です。諸説はあれど、里見も、新田源氏ということになります。 ここで新田源氏をクローズアップしている理由、おわかりですか? そう、千利休の系譜もまた、この新田源氏から始まっているのです。あまり知られていない、歴史の舞台裏というやつでしょうか。 もっとも系譜というもの、安土桃山時代は金で改竄する武士も多く、信憑性もまた疑わしいとされます。新田源氏の得川氏が三河松平郷に土着したという徳川氏の系譜が、実は贋作であることは、平成ニッポンにおいて公然の周知とされています。 しかし、新田源氏のことは「千利休由緒書」の著者である江岑宗左(利休の曾孫)の初出とされ、利休在命の時代にはその史料が見当たらないことから、確証性はありません。 なかには、千姓が朝鮮半島に存在することから、利休は朝鮮半島を出自とするとんでもな俗説が流布されているようです。利休の父は田中与兵衛、千姓は利休の祖父・田中千阿弥の名からとったことが明白なので、期待している方には申し訳ありませんが、利休と朝鮮半島とは無関係です。 とまれ、源氏説も真っ向から鵜呑みには出来ませんが、反面、学者でない側の者は浪漫を求めたい。想像を用いる者にとって、利休と里見との距離が、グッと縮みます。夢酔本では、義康の正室という〈接着剤〉が両家との交誼を確たるものへと導く設定に描きました。 【参考】 ◆ ◆ ◆ 戦国武将里見氏のNHK大河ドラマ放映を目指す「里見氏大河ドラマ実行委員会」が組織されています。里見氏終焉の地である鳥取県倉吉市、里見氏発祥の地の群馬県高崎市、そして館山市で、NHK側にドラマ化を働きかける運動を行っております。 「2014年に里見氏の物語をNHK大河ドラマで!」 皆さまの温かいご声援をお願いします。 お問い合せ先は、こちら。 房総里見会事務長 鈴木惠弘 〒294-0027 千葉県館山市西長田72 にほんブログ村 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2011.10.21 06:40:06
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