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テーマ:同居は嫌ですか?(1148)
カテゴリ:国際結婚・国際同居の生活
カウンセリング、なんやかんや言って
今日でセッション3回目終了しました。 カウンセリングでの「気づき」はいろいろあり それなりにプラスにはなったと思います。 今日のお題をあげました。 マムの友人知人を私がメイドのように世話しなくちゃならないのがとても嫌。 今日、マムが誰かと電話で話している会話を聞いてしまいました。 ダディーの高校時代の友人が 来月の週末に遊びに来るのだそうです。 ここに泊まるのか、どうなるのかは知りませんが もし泊まるのであれば、ゲストルームをきれいにして タオルとか全部用意して、週末は 気をつかわなければなりません。 そして、何よりも、彼らのために 6人分ものディナーを作ることが嫌なのです。 仕事ならいいのですが、休みだった場合 またディナーを作らされるのか? そんな心の葛藤が、6月の「K・Wナベさんゲスト事件」を思い出させます。 カウンセラーのキャロルにあのときの話をしました。 キャロルは言いました。 「やりたくないことをやらなきゃならないからストレスになるの。 やりたくなかったら、やりたくないっていわばいいのよ。 それをどうやって、相手に伝えるか。 自分を罪悪感から救うために、何かをするから 後になって怒りがわいてくるっていうパターンに陥るのね。」 そうそう。そのとうりです。 Wナベさんのディナーだって、最初から 「私は作りたくないから、自分達でディナーしてね。」 って、はっきり言えばこういうことにはならなかったんです。 でも、罪悪感から、そんなこといえなかった。 当時の日記のコメントにも、いろいろ言っていただいたけれど どうやって言えばいいのか、わからなかった。 日本人だったら、はっきりいえない事って結構普通のことで 社会では、嫌なことをやってなんぼのもん。みたいな そんなストレスは日々当たり前のことなのでしょう。 やりたくないことをやりたくないということは ぜんぜん、間違ったことではない。 こんな大胆な洗脳を、私は日々行っているのです。 危険だ。。。とっても危険。 もう完全に、日本の社会には帰れない頭になりつつあります。 自分がやりたくないのだということを それをどのようにコミュニケーションして 相手に伝えるかということ。 そんな方法をならったとしても、日本では通用しないのでしょう。。。 日本の社会にもどることは、おそらくはもうないだろう。 ぼんやりとそう考えながらも 日本社会で通用しない考え方に変わっていくことに かなりの抵抗を感じている自分がいます。 でも、私が暮らしているのはアメリカ。 家族はアメリカ人。 やりたくないことをやりたくないと、上手にいえるようになり 皆が幸せに平和に暮らせるようになるのなら 私はやるしかありません。 ビッチーな妻になることで、私の怒り爆発がなくなり 夫のストレスが激減するのなら この際、なりましょうか!ビッチーで我侭で自己中な妻に! ゲストがいつからいつまで滞在し 私にどこまでのヘルプを期待しているのかをマムに聞き 私がしてあげようと思っている許容を超えることを彼女が言ったなら しっかりとラインを引く。 これが私の次の課題。 ゲストのための部屋の準備とタオルの準備。 私はこれだけしかするつもりはありません。 やりたくないことを、やりたくないということにこんなに苦労をして 罪悪感からしてあげたことで、自分自身に怒りを感じる。 このパターンから抜け出す基本は 「ビッチーな妻」になることなのかもしれないな。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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