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2009年03月23日
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カテゴリ:Usual topics
ところで「南無妙法蓮華経」とは物質や原子的な側面で捉える場合
或いは心理学的など側面で捉える場合と或いは自然現象などで捉える場合
何に該当するのでしょうか? また、根拠となる「点と線」は??
作用なども含め、組み立てた証明などが出来るでしょうか?
下矢印「去年のBlog」でも書いた事も含め
道理を尽くして納得させ、説明する事ができた人は、いたのでしょうか?

http://smw69.exblog.jp/6914055/
http://smw69.exblog.jp/6929281/
http://smw69.exblog.jp/6949941/

(そういえば、創価学会の正宗に対する非難の中に「大正時代」
 国柱会の幹部等を「石山」(大石寺の事)に招待して御開扉を行った 
 ・・と言う批判があるのですが、考えてみたら
 かの宮沢賢治氏も高山蝶牛氏も国柱会の幹部でしたっけ・・・・・ 
 それを考えたら、ソレは「彼等のために開けた」わけで
 その「使命」の部分については否定できず、それなりの「意義」があったわけだよなぁ~
 但し 両名とも参加していればの話しですが・・・・・)


過去の指導を聞く限り、「唯心」でもなければ 「唯物」でもないわけですよね~
しかし、それを無理矢理「抽象的な形」にして、教条化してしまった為
受け手にとっては、「じゃぁ~ 何なの?」・・・となって混乱してくるわけです。
何故なら説明が足りないため、Imageが相手に湧かない
湧かないから、伝わらず混乱してていくわけですよね~
教条的な頭しかなければ、尚更でしょ?

因みに実証と言うのは「自己の申告」要素がつよく主観がどうしても入ってしまう為
ソレだけでは自己満足の Manus stuprum と同じで、第三者には伝わりません。
また理証と文証を組み合わせても
あくまでも“状況証拠”だけなので、「時計未来の時間」に対する保障が見えないわけです。 

しかも、御本尊が絡んで来ると尚更の話で
朱子学のように「絶対化」した挙句「一つの形」にして「付加価値」を つけてしまった故に
この時点から「抽象化の罠」が登場して、今度は「如意宝珠の奪い合い」が始まる訳です。

何故なら、細かくなるので省略しますが、概ね「自我」を維持するために防衛本能が働き
それ等を採用すれば自分が護られ
更に「支配」が出来る“一石二鳥の部分”があるからなんです。
 
ただ、御本尊を「大聖人」如意宝珠を「南無妙法蓮華経」と決めても
「華果成就御書」にも示されているように「心が伴っていなければ」意味がない訳で
その事を考えれば、尚更の事
しかも、その判定者である大聖人は、既に700年以上も前に「御入滅」されており
 「死人に口なし」なのが現状でしょ?
これは戸田城聖氏や堀日亨上人にも同じ事が言えて“当て嵌まる”場合があります。

実は口伝だけでは 受け手の処理能力の差異などから
「伝言ゲーム」のように、本来の真意から外れてしまう事例があり
その事によって「信」が奪われてしまったからなんです。

因みに比喩品が形容詞と該当するのであれば
あの経文に書いてある御文の、最後の脅し文句は道理として通ります。

そこで「根拠」の“手がかり”として
「大聖人の御遺文(正宗と創価では御書)」などが登場するわけですが
しかし、文証だけでも、読み手にとっては如何様にでも解釈が出来てしまうため
本来の真意から外れてしまう事もあって、結局は同じなんです
それでも、一応“精度だけ”は、あがりますが・・・

また、今とは違い、写真などcopyができる技術もなければ
大量に印刷する技術があったわけでもなく
かつ「通信手段」などが相変らず発達せず
“伝達速度”が遅かったり、“差異”があったりなど・・・etc
更に、紙も100年経てば、劣化して“文献そのもの”が消えてしまう事もあります。
そのため『“「御真筆」か如何か?”すら解らない文献』なども登場してくるわけです。

そこで「写本」が出て来るわけなのですが
しかし、これも、先に述べた「伝言ゲーム」と同じ式が組めて
比喩が悪ければ、伝わらない処か、不信に陥いってしまい
しかも、形として残るため、融通が効かず
その上、開祖以来、755年もの歴史があるためか「写本」に対して、加筆した文献もあれば
ドサクサに紛れて弟子が「己義」や「歪曲」や「改竄」
それに「創作」などを施している文献なども存在しているため
真意が遠のいき、未だ真偽未決のまま揉めている御文などもあるわけです。

例えば「開目抄」は、明治8年の大火で紛失していて存在しておりません。
因みに「創価の御書」は「北山本門寺の写本による要文」であって全文ではないのです。

また、「学会版の御義口伝」は「池上の写本」を採用しておりますが
他にも5本程だったか、興門流所蔵の「御義口伝」などが存在しており
学会版の御書には書かれていなかった事項などが存在するようです。

この事については、かつて池田氏の講義でも確認されていますし
また、御書を編纂した堀日亨上人は他の御義口伝についても
「内容については、まだまだ探求の余地がある」
・・・と「大白蓮華」でも申し上げていた事も確認しております。

更に「御義口伝」の場合、“附註の部分”で辻褄が合わない為
「偽書」と断定する日蓮系の宗派があり、この事については、池田氏がそれなりに破釈したものの
!厳密に言えば「日蓮正宗」の講だった頃の 昭和38年(1963年)の講義で
このとき、池田氏の講義では、声闘と言う、「朝鮮、中国人が使う悪しき風習」を用いり
「あれだけ日蓮正宗が大事に保管していたものだから、ニセモノでは断じてない!!」
・・・と根拠が示せないまま 強引にねじ伏せた部分も否めないため
今や、あれだけ「日蓮正宗」の「杜撰な失態」が出てきてしまった以上
それだけでは、不充分で、結局、「御真筆か如何かの決定的な部分」が未決のまま
「小樽問答」を含めて、振り出しの状態に戻ってしまうわけですよね~
(!創価学会は、昭和26年(1951年)に「日蓮正宗の信徒として扱う」という条件と引き換えに
 宗教法人の登録をしており、既に独立した形をとっていた。)


因みに、創価でも「堀日亨上人編纂」の御書を
真筆と録外だけで判断している人が、意外といるようですね~

また「平成新偏」の御書を支持する学会員なども
インターネットばかりでなく現場でも散見されますが
私は意外ですが「平成新偏」は支持しておらず
アレは、道理を無視し真偽だけで消去法を施した「手抜き御書」だと思っております。

ところで「小樽問答」は「場の空気」「揚げ足とり」による「声闘」で勝ったような問答ですが
後に「SF商法」「自己啓発」などで「悪しき事例」が如実に顕れて
結果的には「一時的な勝利」にしか過ぎず 今になって歪みが出てきてしまった。

従って、そんな事まで含めて幅広く考えてしまうと
果たして、「その祈りが大聖人に伝わっているのか如何か?」すら
凡夫の力では限界で確認ができない為、結局・・・
「うちが正しい」とか「いやそうじゃない」とか
水掛にも等しい不毛な争いが実証として顕れてしまうわけです。

そういった意味では大聖人没後、734年間の歴史は争いの歴史でもあって
大聖人の思惑とは遠くに離れたものに、どんどん変貌していくわけです

その結果、「どうなるか?」・・と言えば
かつての「朝鮮戦争」が始まった時の「南北 朝鮮国民」と同じ心理状態に陥って
「どこにナンミョーを唱えているんだか わけが解らない」・・・と相成ってしまう訳です。



よぉ~~く考えよう♪自分は大事だよぉ~♪

カンカンカン☆\(・∀・) 
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Last updated  2009年03月24日 08時05分27秒



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