1257004 ランダム
 HOME | DIARY | PROFILE 【フォローする】 【ログイン】

明治の町家   姫路の春霜堂  

明治の町家   姫路の春霜堂  

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

PR

Keyword Search

▼キーワード検索

Calendar

Comments

47弦の詩人@ Re:渡辺和子先生 のお言葉(06/02) ご無沙汰いたしております。お変わりござ…
松風6923@ 今までありがとうございました。(1/1) 新年おめでとうございます。 この度ブロ…
春霜堂@ Re[1]:10・27時点での衆議院選分析予測(10/28) 大江戸ユーチューブ男さん >ご無沙汰して…
大江戸ユーチューブ男@ Re:10・27時点での衆議院選分析予測(10/28) ご無沙汰しております。その後おからだの…
春霜堂@ Re[1]:衆議院選・大胆予測(08/19) 大江戸ユーチューブ男さん >大阪維新、伸…

Freepage List

 倉成竜渚


東久世通禧 1833-1912 政治家 254ht


九鬼隆一 1850-1931 駐米公使 181ht


元田肇 1858-1938 政治家 80ht


若槻礼次郎 1866-1949 総理大臣 3667ht


林銑十郎 1876~1943 総理大臣 1968ht


渡邊錠太郎 1874~1936 陸軍大将 265ht


巌谷小波 1870~1933 童話作家 4308ht


芳川顕正 1841-1920 明治の元勲 148ht


橋本海関 1854~1935 明石藩の儒者


東郷平八郎 1847-1934 連合艦隊司令長官


乃木希典 1849-1912 陸軍大将 8153ht


武藤山治 1867-1934 実業家、政治家


頭山満 1855~1944 国家主義者 4350ht


清瀬一郎 東京裁判の弁護士


中井竹山 儒学者 1730-1804 330ht


細井広沢 儒者、書家 1675~1753 149ht


高橋三吉 海軍大将 1882-1966 101ht


河野秋邨 日本画家 1890 - 1987 18ht


三上参次 歴史学者 1865~1939 204ht


高杉晋作 倒幕の志士 1839-1867 34511ht


森田節齋 1811-1868 維新の志士 77ht


岡本黄石 1811~98 書家 漢詩人 47ht


増田龍雨 俳人 1874-1934 45ht


細井平州 儒学者 1728-1801 124ht


祇園南海 儒学者、画家 1678~1751 136ht


皇女和宮 悲劇の皇女 1846-1878 3914ht


西園寺公望 首相 元老 1849-1940 5050ht


加藤桜老 儒学者 1811-1884 16ht


橋本関雪 日本画家 1882-1945 5700ht


内田 良平 国家主義者 1874ー1937


長三州 書家、儒者 1833-1895


橋本凝胤 薬師寺管長


清水公照 東大寺別当 1911-1999


福田眉仙 相生出の日本画家 1875 - 1963


森崎伯霊 姫路出の日本画家 1899-1992


奥山武寛  姫路在住の日本画家


清浦奎吾 首相 1850-1942


尾崎咢堂(行雄)


春霜堂の一こま、夏の終わり


時を越えて


明治・大正・歴史資料館


エジソン式蝋管蓄音機


皇女和宮の板絵


グランド・ファーザーズ・クロック


天秤ばかり


行器 (ほっかい)


半鐘


往診用駕籠


姫路の歴史ある風景から


播磨・姫路の古い景色


昭和30年代の姫路


播磨の観光絵図


姫路の街並み


小さな姫路の歴史


姫路駅周辺から


大正浪漫の世界から


在りし日の日本の景色


その頃の風物詩


大正浪漫の世界


昭和の世界


大正浪漫の美しき女たち


春霜堂刊行物


マスコミでの紹介歴


今後予定している企画


春霜堂御訪問・金襴帖


姫路パノラマ資料館


パノラマ資料館、その1


高橋志学塾


今甦る千姫


調べもの


モンテンルパ秘話 「炎は流れる」から


昭和プロレスの残像


浮世絵  北斎


歌麿


広重


豊国


写楽


文明開化


大正浪漫の高橋内装


昭和の木版画


明治の頃の浮世絵


忠臣蔵


今東光先生伝


今東光記念ルーム


春霜堂講演資料


カフェ・トシ


神社仏閣巡礼


Favorite Blog

決断そして行動へ New! 新鮮美感@川島さん

復刻記事「韓国記事… New! alex99さん

交渉テクニック New! よびりん♪   さん

小泉今日子  月ひと… くまんパパさん

2309. 開設19周年 & … カズ姫1さん

Profile

春霜堂

春霜堂

Headline News

2006年09月05日
XML
カテゴリ:昭和の残像


円谷 幸吉 昭和15年生まれ、福島県岩瀬郡須賀川町出身。

高校卒業後、1959年陸上自衛隊へ入隊。その後、同僚と二人で郡山自衛隊陸上部を立ち上げ、陸上競技の実績が認められるが、一方で、その頃からオーバーワークからの腰痛に悩む。

体育学校入学当初も腰痛が治らず、満足に走れなかった。しかし、オリンピックイヤー前後から好成績をおさめ、結果的にオリンピックに出場。10000mで6位入賞する。

また、あまり注目されなかったマラソンでも、国立競技場に2位で戻ってくる。だが、後ろに迫っていたイギリスのヒートリーに最後の最後、トラックで追い抜かれる。これは、「男は後ろを振り向いてはいけない」との父親の戒めを愚直にまで守り通したがゆえとされている。ともかく、この唯一の銅メダルで「日本陸上界を救った」とまでいわれる。

その後、メキシコを目指す円谷に様々な不運が襲う。自衛隊体育学校の校長が替わり、方針変更が変更され、ほぼ決まりかけていた円谷の婚約は、「次のオリンピックの為」と認められず、結果的に破談となってしまう。直後に、体育学校入学以来の恩師の突然転勤で、円谷は完全に孤立無援の立場に追い込まれてしまう。それは、オリンピックの敗北の後、結婚して復活した君原健二とはあまりにも対照的であった。

さらにその後、オーバーワークから腰痛が再発、病状は悪化して椎間板ヘルニアを発症。1967年に手術を受けるが、かつてのような走りをできない状態であった。

周囲からの重圧と走れない焦りから、1968年1月9日にカミソリで左頚動脈を切って自殺。

「父上様、母上様、三日とろろ美味しゆうございました。干し柿、餅も美味しゆうございました...」で始まる遺書は当時、大きな衝撃を与えた。川端康成は『円谷幸吉選手の遺書』の中で「繰り返される《おいしゅうございました》 といふ、ありきたりの言葉が、じつに純ないのちを生きてゐる。そして、遺書全文の韻律 をなしてゐる。美しくて、まことで、悲しいひびきだ」と語り「千万言も尽くせぬ哀切」と評した。

三島由紀夫は『円谷二尉の自刃』で、「傷つきやすい、雄雄しい、美しい自尊心による自殺‥‥この崇高な死をノイローゼなどという言葉で片付けたり、敗北と規定したりする、生きている人間の思い上がりの醜さは許しがたい」と語った。

円谷選手の遺書

円谷選手を偲ぶ曲として



あの時代において、国家と周囲の重圧を背負い、我々の前を走り抜けていった人でもあった。

その哀切に満ちた表情と朴訥な生真面目さゆえに、いつまでも我々の心に残る。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2006年09月05日 10時49分23秒
コメント(7) | コメントを書く
[昭和の残像] カテゴリの最新記事



© Rakuten Group, Inc.